カヤナルミ考・2 カヤナルミ・1 |
カヤナルミ、の正体が判ったかも知れません! 磯城の葉江さん、ではないか。鬼茅=siki 声=haw/hawehe (chikap haw 鳥の声)(≒鳴る・鳴く?) これだけでは、語呂合わせだし、無理もある。しかし、次のようなことを考えると、棄却するには惜しい。即ち、 カヤナルミは「出雲国造神賀詞」に出てくる神名で、皇孫の守り神として配置した4神の一つである。4神のうち、大物主も事代主もその娘(イススキ姫)が神武妃になっている、という点で皇孫の守り神に相応しい。アヂスキは別途考えるとして、カヤナルミがどうして皇孫の守り神に相応しいのか? それは、第二代〜第六代の后妃の出自が「磯城県主」の娘であり、そのうち第三代〜第六代に関しては「磯城県主葉江」の娘又は姪、とあるから、葉江さんは守り神としては相応しい。その葉江さん、とは、カヤナルミ、のことだ、というのは、事情・背景としては誠に良く当て嵌まる。 なお、第4代后妃は「磯城県主葉江男弟猪手」の娘とある(だから上に「姪」を入れておいた)。ここで「男弟」と特記しているのは「弟」はデフォルトでは女性、ということかも知れず、葉江さんは女性なのかもしれない。 更に、事代主には「八重事代主」と「八重」を冠する呼び方もあり、「八重」を「はえ」と読めば、事代主と葉江さんは夫婦だったのかも知れない、という推定が出来る。つまり、女系名称が配偶者に伝わった(大国主系譜参照)と考えるわけだ。 上記、神武妃の名前には、「イススキ姫」(古事記)、「イスケヨリ姫」(古事記、亦名)、「イスズ姫」(書紀本文)がある。同じ古事記の中で、イススキの「キ」は「岐」とあり甲類のキであるが、イスケのケは「気」と書かれ乙類のキ、または、乙類のケである。 記紀において、甲類乙類の使い分けはかなり徹底しているが、それでも、甲乙の混乱は、数少ないがあるにはある。その一つがアヂスキに関してである。アヂスキ・アヂシキについて、キが甲類で書かれたものと乙類で書かれたものがある。キの混乱、という意味ではイススキの場合と同一の混乱である。そうして見てみると、アヂスキとイススキも、どうも音が近い。母音+S+S+K、という共通項にくくることができる。 なお、「ヂ」と「ジ(シ)」の混乱も一応ながら例が上げられそうだ。即ち、出雲系譜の1.八島士奴美、と、9.速甕多気佐波夜遅奴美だ。ただし、士奴美と遅奴美が同語だという保証はない。 以上から、神武妃のイススキ姫はアヂスキの娘、二代目〜六代目は事代主と葉江の娘(2代目は定かではない。4代目は葉江男弟の娘)という事があったのではないか、と推定する。 念のため付言すれば、書紀本文は父系として事代主を書き、一書の一つは母系を書き、古事記は両論を適宜つなぎ合わせた、ということであろうか、となる。 ここで、どんたくさんに教えていただいたのだが、カヤナルミは宇須多伎比売(ウスタキ姫)と共に【飛鳥神の後裔】とされている、という。これは「類聚三代格(ルイジュウサンダイキャク)」所引の貞観16年(10年か?)6月28日の太政官符に出てくるそうだ。 そうなると、出雲風土記、神門郡に出てくる「阿太加夜努志多伎吉比賣」という名前が俄然意味を帯びてくる。谷川健一著『日本の地名』(岩波新書495)P211に「鵜のことを沖縄ではアタックと呼んでいることからアタックが阿多になったとい説明の方に私は魅かれる」とあり、それは明治時代に沖縄本島の安田(あた)の海岸で、鵜を見た人が地元の人に聞くとアタックと言った、という記録があるそうだ。 つまり、「阿太加夜」とは「ウガヤ」のこと!となってくる。所造天下大神之御子だ、と出雲風土記はいう。ウガヤ主タキキ姫、という意味あいの名前が前半と後半で分離して、カヤナルミとウスタキ姫が出来てきたのか、と推察している。強いてアイヌ語援用した縄文語的解読をすれば、siki(鬼茅≒大萱) us (に居る)タキキ姫、あたりが再構築(の途上)されようか。 |