大伴の祖は天忍日命
亦云 神狭日命

orig: 99/05/13


国造本紀の无邪志国造「兄多毛比命」とは日本書紀に現れる「大伴武日」のことではないか、とか、「兄多毛比」の出自である「出雲臣祖二井之宇迦諸忍之神狭10世孫」の「神狭」とは、出雲大社神官の系図に出てくる天の穂日の曾孫「津狭」のことらしい、という事を小生は言って居ります。

さて、先代旧事本紀を読み直しておりましたら、
「天忍日命 大伴連等祖 亦云 神狭日命
とあるではありませんか。(巻1・神代本紀)「天忍日命」が大伴連等の祖ということは古事記にも日本書紀(第4の一書)にも天孫降臨の段に出ていることで、先代旧事本紀がその異名をも伝えていたわけです。

こうなると、「神狭10世孫」の「兄多毛比命」は大伴一族だったらしいことが、よりハッキリしてきました。これに随って、「兄多毛比命」とは「大伴武日」のことらしいことの可能性が一段と高まったと思います。


「兄・多毛比」が大伴一族であり、「大伴武日」のことで、出雲に関連していることを上記と他2編(兄多毛比は武日か、と神狭・考で考察しました。判明したことを列記してみますと: 上記から、兄・多毛比とは、大伴武日のことで、彼の祖である「神狭」と「神狭日=天忍日」は同人物ではなかろうか、と考えます。

なお、世代に就いては、複数の家系に於いて厳密には相対しないではありましょうが、おおまかな参考にはなろうかと思います。


付録:

「神狭日命」こと「天忍日命」の出自を探ってみましょう。古事記には出自が記されていないようです。上記の先代旧事本紀では、イザナギ・イザナミ・別高皇産霊尊の児として記載されてます。

先代旧事本紀の神代系譜は変わっていて(?)カップルにもう一つ「別・・・」という人(神)の名前が併記されています。ですから、例えば「天忍日命」がイザナギ・イザナミ・別高皇産霊尊の直後に「児天思兼命、次太玉命、次天忍日命・・・」と書かれているのですが、イザナギ・イザナミの子なのか、高皇産霊尊の子なのか判然としない。。。

「古語拾遺」にも「天忍日命」が出てきます。ここでは、

天御中主神に3人の子がある、即ち、高皇産霊神、津速産霊神、神産霊神
神産霊神の子に栲幡千千姫命(ニニギの母)、「天忍日命」(大伴宿禰の祖神)、太玉命(斎部宿禰の祖神)

が挙げられている。

前述のように「天忍日命」に関して古事記も日本書紀も、その出自には触れていないが、ニニギ降臨の時、武装して先導している。(一緒に天から降りてきたかどうかは不明。)

以上3書を見てみると「天忍日命」は高皇産霊(或は、神産霊)の次世代、ニニギの一世代前、の人、ということが言える。別考で「神狭」は「天之穂日の曾孫にあたる『津狭』のことか」と考えています。一方、「天之穂日」は天照大神や高皇産霊の次世代ですから、「天忍日」と同世代の筈、となります。そういう矛盾はありそうなものの、ここら辺の系図では世代の混乱はこれに限らない、と逃げるか、或は、いずれにせよ、「神狭」は大伴の祖であり、かつ、「兄・多毛比」の祖であり、同族に属しているようだとは言えましょう。


兄多毛比は武日か?
神狭・考
出雲系譜
国造リスト第4表属性による分類へ
歴史館の目次
コメント・御感想、メールフォームHomepage & 談話室への御案内