シコ・醜・色
orig: 98/01/02
rev1: 98/01/31 added
蝦夷のシコ名
大国主の別名に「葦原男」(書紀)「葦原色許男」(古事記)があります。「醜男」「色許男」は「シコヲ」と読みます。それにしても、気の毒な名前に思えましたが、醜くても力持ちだ、という好い名前なのだと言うことになっています。

この字・音を持った名前を集めてみて何か探れることでもないか、と試みてみました。 多少異説もありますが、先代旧事本紀に「シコ」の付く名前が一番沢山出ているようなので、それに基づきますと:

葦原醜男大国主の別名の一
0代ニギハヤヒを0代として
1代目ウマシマヂ*師長姫
2代目彦湯支命に出雲色多利姫が嫁している
3代目三兄弟の一人が出雲色大臣他に、大禰命と出石心大臣
4代目には見当たらないが
5代目欝色雄・欝色謎
ウツシコヲ / ウツシコメの兄妹
妹は考元皇后
6代目伊香色雄・伊香色謎
イ カ シコヲ / イ カ シコメの兄妹
妹は考元妃・開化皇后

こうして並べてみると「シコ」の前に来ている語が地名を表していそうに見えてくる。即ち、「葦原」とか「出雲」とかが先ず地名であろう。しからば、ウツやイカ(或いは、イカガ、と読む書もある)も地名ではなかろうか。

イカ(ガ)に就いては、伊香、伊賀、加賀、なんて地名が思い当たる。

ウツ、は何なのだろう。この兄妹の名前は古事記では「内色許男、内色許売」と書いてあり、葦原中国(なかつくに)の「中国」ナカツ国、の「中」と同義ともなりそう。

前半が地名だとして、どこどこの醜い男・醜い姫様、ってことでしょうか。どうも気に入りません。

さてそこで、アイヌ語です、(^_^)。

siko には生まれるという意味がありますが、どうでしょう、葦原生まれの男、イカで生まれた姫様、などなど、、、

「シコ」が日本語古層に由来する(縄文語とか、、、)言葉で、今もってアイヌ語で理解できる、とすると前半の地名もアイヌ語で理解してみたくなります。

先ず、「ウツ」から考えてみると、utur には「〜の間、仲、下座、西側」などの意味があります。「〜の間、仲」など「中国」とか「内国」とかに翻訳、変身していても悪くなさそうに思えます。

「イカ」に関しては、ika と言う言葉が、越す、溢れる、の意味を持ち、伊賀越え、などと言うように、峰を越して往復する土地の名前に相応しそうです。

いずれにしても、この「シコ」の付く名前が、大国主を別格とすれば、ニギハヤヒ→ウマシマヂ系譜の2〜6代に限って出現する(反証がありましたらご教示下さい)のが、特色です。

なお、先代旧事本紀の国造本紀に出てくる「遷狛一奴」の分析でも「ウツ・シコ」を析出してみましたので、リンクしておきます。

なお、3代目のもう一人の兄弟は、出石心大臣ですが、強いて挙げれば、ここにも、 イヅ「シコ」コロ、とシコを無理矢理(?)見る事も出来ます。


  • これは完全に冗談です。(^_^)。
    アイヌ語で aw という語が「烏賊」の意味と「内」の意味とがあります。もし或る人の名前が、aw-siko、だったら、それを和人が伝承するに際して、 イカ(意訳)シコ(音写)にも ウツ(意訳)シコ(音写)にもなりそう。。。

  • ★追記:98/01/31★

    蝦夷にも「シコ」と読める名前がありました。高橋崇著「蝦夷」を見てたら、こんなシコ(?)名がありました。

    胆沢公・阿奴志古延暦11 AD792
    宇漢米公・弘仁 3 AD812
    これらがシコなら、次も加えても良いのかも。但し、「西」は「セ」と読むのが普通なのだが、、、
    吉弥候部:伊佐西古宝亀 9 AD778
     伊佐西古宝亀11 AD780すぐ上と同人でしょう
    「宇漢米」は地名ですが、「阿奴」とか「伊佐」は適当な地名が比定出来るんだろうか。。。

    なお、斉明紀に「膽鹿嶋」(イカシマ)、日本後紀弘仁2年(AD811)に「伊加古」なんて名前もあり「イカ・シコヲ」なんかの「イカ」が拾い出せそうです。(^_^)

    この本のP32-36に49個の蝦夷の名前が挙がってますが、そのうち8名が「古」か「己」すなわち「コ」で終わっているのも注目されます。(そのうち4つ(2つ?)が「シコ」らしい。)つまり、アイヌ語 kor(持つ/所有する)も考えられます。(参照: kotan kor kur 村・持つ・人=村長)

    さて、こんな事が「葦原男」などの名義を解く鍵になるだろうか。。。


    ウツシコマ考
    歴史館の目次へ
    言語館の目次へ
    コメント・御感想、メールフォームへ Homepage & 談話室への御案内