「素戔嗚尊」を考える
ORIG: 2010/05/03
REV1: 2012/02/05 文章改良明確化

「素戔嗚尊(スサノヲのみこと)」の第三字は「嗚」(旁は「烏・からす」)であり「鳴(旁は「鳥・とり」)」ではない。しかし、しかし、恥ずかしながら、これを「素戔鳴尊」と勘違いしていた時に「スサナキ」という読みも可能であるから、そこから色々考えていた。

そのような誤解からの展開ではあったものの、下記の諸点を考えるに、上はあながち誤解ではないかもしれない、と思い始めている。「スサナキ」「イサナキ」が「スサノヲ」の古い形ではなかろうか、そして更に原型は「イソサナキ」ではなかろうか、と思うものである。それらの諸点を下に述べる。
スサノヲの属性の一つに「啼き泣ち(なきいさち)」るというものがある。「イサナキ」という名称から思い立った古い作り話、という側面が窺える。

一方で、イザナギも、イザナミを失ったときに「哭き泣ち(なきいさち)」している。イザナギ−スサノヲは父子であり、伝承途上で何らかの混乱があることはあり得る。スサノヲはイザナギ・ジュニアであり、同名・類似名で伝えられることも可能であろうし、各々の事績に出入りが生ずることもあろう。

想到した原型の「イソサナキ」を漢字で表記すると「五十鐸」あたりが可能である。「鐸(さなき)」とは大きい鈴のことであり、しからば「五十鈴」と同類の表現である。すなわち日本語としてあり得る語形であり、同様の語義である。

姫蹈鞴五十鈴媛(神武天皇妃、事代主の娘)の名前がスサノヲ(五十鐸)由来であると見ることもできる。

スサノヲの子として「五十猛(イソタケル(イタケ、イソタケ))」が伝えられており、
 イソサナキ − イソタケル という父子の名前に連携を見ることができる

イソタケル は別名 イサヲシ とも呼ばれる。父名をこれに対応させれば イサナキという形であろう。

イサヲシ といえば「イソシ」と誉められた「五十迹手(イソトテ、イトテ)」も考えておきたい。
五十迹手の父は 天日矛 である。
五十猛 の父を 五十鐸 と見るとき、
 「鐸とは戈のようなものである」(延喜式神祇{時代別国語大辞典上代編「さなき」の項})が有効である。 また、天日矛もスサノヲも新羅出身であるのも補強材料だ。

スサノヲが出雲諸神の祖であり、大国主の異名の一つに「八千矛神」があるのもスサノヲと天日矛を関連づけることに役立ちそうである。

音の変遷としては:
イソ・サナキ→イサナキ
イソ・サナキ→ソサナキ→スサナキ
      (石上 を イ「ソ」ノカミ とも イ「ス」ノカミ とも云う例あり)

イソサナキと呼ばれている段階の伝承は伝わらなかった。ソサナキが「素戔鳴」と漢字表記されたであろうものの、ソサナキの「キ」が男性を示すものと解されて「ヲ」に転じ、すなわち、ソサナヲ、それが「素戔嗚」と書かれ・・・ということか。須佐之男 などの漢字表記もここから派生したもの、と考えることになる。

語尾の「キ」を「ミ」に置き換えることにより女性を示すので、イザナギとイザナミとなっている(他にもツラナギ・ツラナミ、アハナギ・アハナミ。カムロギ・カムロミ。オキナ・オミナも?)。

本稿は 2010/04/16に 私のBBS に投稿したものに手を加えたものである。

「スサナキ」考・2(ウスタキ)
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