「あまみきよ」と「しねりきよ」のように対で呼ばれる琉球に伝わる開闢神の名である。それらの語義などを考えてきた、また、日本古代史・神話との接点を探求してきた。ここに、もう一つ指摘しておくことがある。
即ち、日本書紀神功皇后条の記述である。抄訳すると:
(皇后が紀伊国に至って日高で(皇)太子と会う。群臣と謀って忍熊王を攻めようとして「小竹」(しの)の宮に遷る。 このとき、昼は夜のように暗く、何日も経つ。時の人は「常夜(とこやみ)行く」と言う。皇后、紀直の祖豊耳に「この怪は何のわけか」と問う。ある翁の曰く「アヅナヒの罪と言います」。「何のことか?」「二つの(神)社の祝者(はふり)を一緒に葬ったからか」という。調べてみると「小竹(しの)の祝(はふり)と天野の祝・・・・を合葬してある。これが理由かも」という。墓を開いてみればその通りだったので、別々に葬った、そうしたら、日が光り、日と夜が別々になった。」
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太字で表したように、ここに「しの」 vs.「あま(の)」の対を見ることが出来そうだ。それも日月の照ることに関わっているのが甚だ興味を惹く。
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