超御多忙の方への5分バージョン
5分だけ御時間を下さい。余計な事は申しません。下記を御覧願えませんか。

古事記+日本書紀
古事記:イザナギ・イザナミの二神は天の諸神から「この漂える国を修め理(つくり)固めて成せ」と命令される。そして、天の沼矛(瓊矛、玉で飾った矛)で塩(潮)[ciw]を「コヲロコヲロ」に掻き混ぜてその矛を引き上げた時に矛の先から滴り落ちた[cirir]塩が累積して[u-ka-o]島となった。これがオノコロ[unukar]島である。そして成り成りて足らざる所を成り成りて余れる所で刺し[ciw]塞いで国生みに入る。
日本書紀:(二柱の神は)遂に交合しようとする。しかしその方法を知らなかった。時に鶺鴒[o ciw cir]が飛んで来てその首や尾を動かした。それを見て二柱の神は学んで交合[ukor, unukar, uko-ciw]ができた。[詳論]

日本書紀
日本書紀の垂仁天皇(第11代)39年10月の条の石上神宮に納められることになった剣千口の話がある。即ち、五十瓊敷命が、茅渟の兎砥川上[isepo ruy pene]の宮に居られたときに、剣一千口を作られた。そういう訳で、その剣を名付けて「川上部」(カワカミノトモ)と言う。亦の名は「裸伴」(アカハダガトモ)[oruypene/oruypitne]と言う。[詳論]

因幡の白兎
因幡の白兎:古事記と因幡風土記から抜きだして合成すると「因幡の高草[sikina]という所に老いた兎[isepo - po = ise/iso]がいた。洪水で流されてオキノシマ[rep un sir]に流れ着いた。気多の岬に戻るために、ワニ[rep un kamuy/iso yanke kur]の数を数えると騙して並ばせて、その上を渡って本所に戻った。騙されたワニは怒って兎の着物を剥いだ[soso]。大己貴(大国主の別名)が『蒲 [sikina]の花粉の上に臥して転べ』と教え、それにより治癒した。これが稲羽の素兎[ソト]である」という話である。[詳論]

播磨風土記
播磨風土記宍禾(しさは)郡御方村の条に天日槍(アメのヒボコ)命と葦原志許乎(アシハラ・シコヲ=大国主)命の領土分配に関する説話がある。概要は:「御方(ミカタ)の里:土質は下の下。御形(みかた)と名づける理由は、葦原志許乎命(が)天日槍命と黒土の志爾嵩(シニ・ダケ{死野とか生野と同地名})に来て、それぞれ、黒葛(つづら)三條(み・かた)[re kata]を足[kir]に着けて投げた[yapkir/sirekatta]。葦原志許乎の黒葛は、一條は但馬の気多[kata?]に落ち、一條は夜夫(やぶ)[yap]に落ち、一條はこの村に落ちた。それでこの村を三條(みかた)[re kata]という。天日槍の葛は全部が但馬の国に落ちたので伊都志(イヅシ)[i tusi]を占めることになった。」 kata は ka-tak 糸巻とするとこの説話の黒葛とも多少合うし、このモチーフは三輪伝説(下記)にも出てくる。[詳論]
播磨風土記神前郡埴岡(はにおか)の条に大汝命(オホナムヂ)と小比古尼命の争いの話がある。「埴岡の里:・・・埴岡、というのは昔、大汝命(オホナムヂ)と小比古尼命(スクナヒコネ)が相争って言うには『「埴」を荷物として遠くへ担いで行くのと、糞をしない[tuymaの否定]で遠くへ行く[tuyma]のとどっちが勝つか』。オホナムヂが糞を我慢することになり、スクナヒコネが「埴」[toy]の荷[sike]( これは糞・処の隠喩でもあるか)を担いで行くことになった。そうして数日(歩いて行った)経った。オホナムヂは「もう我慢出来ない」と糞をした。スクナヒコネは笑って「実に苦しい」と言って荷物を投げ出した。(休憩?下記参照)それで(ここを)埴岡という。また、小竹(笹)が糞を弾き上げて衣に付いたので、ハジカの里、という」続いて:「生野と呼ぶのは、昔、ここにアラブル神があって、往来の人を半分殺した。それで『死野』[sinup 大野sini-nup休憩した野]と呼んでいたが応神天皇が、名前が悪いな、今後は「生野」と呼びなさい、とおっしゃったので、そういうことになった。」[詳論]

三輪伝説
崇神記にある意富多多泥古(太田田根子)の先祖を見ると、大物主と活玉依毘賣の間の子に「櫛御方命」という人が居る。この「御方」もミカタであり「三つの・糸玉」[re ka tak]と考えれば「三輪」の語源説話「三勾(みわ)」がスッキリとする。即ち、活玉依毘賣が、夜毎訪ねてくる神の正体を知るために、その神に糸をつけておいた。翌朝見てみたら三輪残っていた。たどってみたら美和山だった。という「ミワ」伝説に「三つの・糸玉」と、それに因んだ子の名前「御方(みかた)」[re kata]が当てはまる。[詳論]

これらから、記紀・風土記に縄文以来の伝承が和訳されて入っている、とし、アイヌ語が縄文語の後裔言語である、と考えることにより、これら伝承がアイヌ語で理解すると理解が進むことの説明がつく。

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