orig: 97/08
rev1: 97/09/11 separate, addition
今回は、「出雲」の語源・語義にチャレンジしてみます。
これは、物議をかもしだしそうな話になります。(^^;)
出雲風土記では、国引きをした「八束水臣津野命が『八雲立つ』といったので、八雲立つ出雲という」と書いてありますが何のことだかサッパリ判りません。「八」と「出」の間に何か missing link でもあるようです。
早速「八雲立つ」の「八雲」をアイヌ語(先住民語を反映していると私が想定している言語)で復元してみますと、一番最初は、八・川の意味となる、tupesan pet、ではなかったか、と思われます。
大体、八束水臣津野命の名前自体に「八束水」があり、「八・川」でぴったりするではありませんか。「八束水」とは「大海」のことか、と言う解説も読んだことがありますが、川なら数えられるけど「海」を数えるとなると、世界規模になってしまう。なお、後半の「臣津野」、或いは古事記の表記なら「淤美豆神」はまだ良く判りません。
更に、古事記にある大国主の系図に「八河江比賣」が出てくるのも僅かながら関連がありそうですし、又、仁多郡横田町に「八川(やかわ)」と言う地名が現存しています。斐伊川上流の一支流である「下横田川」に沿った地名でJR駅名にもなっています。但し、この地名の古さがどこまで溯れるかは不明です。
応神紀には「矢河枝比賣」が和珥の娘で、応神妃として登場します。ワニと白兎なんぞも思い出して、何かとっかかりがありそうです。矢河枝比賣が居たとされる宇治周辺の地名の稿もご覧ください。
「8」を、tupesan-pe、と言いますが、最後の pe は「モノ」の意味、「8つ」の「つ」に相当する語ですから、語根は tupesan です。(tupesan-to 八日、tupesan-iw 八人などの例があります。)また、更に省略して、tupes だけでも良いようです(萱野辞書)。
それに基づき、また、原形が最後の t を落として tupes an pe、となっても「八・ある・モノ」の意味として相変わらず「八・川」を表現出来ます。現在のアイヌ語地名でも pe で終わる川の名前があります。(例:興部川、オコッペ川。)或いは、pe 自身に「水」の意味もありますので十分に川の意味を保存してます。
この段階で、tupes san pe と僅かな揺れ(s がダブル)を許してみると、「八・出る・モノ」の意味になります。
「モノ」が日本語でもいろんなモノを表現するように、pe も前後関係でいろんなモノを表すようで、少なくとも人間に関しても使われます。(Penanpe, Pananpe, Poyaunpe など)
そこで、tupes san pe(8出るモノ) が tupes san kur(8出る者)と言い換えられる乃至は同義語であることが考えられます。
kur の意味には「者・人」に加えて「影」があります。「天の影」に相当する nis-kur が「雲」の意味ですが、kur=「影」だけでも「雲」に意味が通じさせても大過ないでしょう。そうしますと、tupes san kur は、八 出る 雲、になり得ます。
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播磨風土記揖保郡の条に「出雲御蔭大神」が出てきます。通行人の半分を殺し半分を生かして通すという「荒神」の神格を持った神様です。この「御蔭」に「みかげ」との現代ふりがなが振ってあります。これなんかも、原義は「san kur」即ち、「前に出る・蔭(影=雲?)」だったのではなかろうか。「san」の部分は「サン」から「三」と写され、そして、一旦「三」と漢字表記されると、今度は「三」が「ミ」と読まれるようになり、次いでそれを「御」と書くに至ったのではないか。即ち、「出雲」も「御蔭」も同義で、原語は san kur なのだ、と。ついでに行ってしまうと、「三雲」だって san kur の別訳に過ぎないか、と。三雲・別考を掲げました。(2000/10/15)
以上のように、「出雲」のオリジナル・想定原語は tupes san kur、だったのではなかろうか。そこから「八雲(立つ)」を作ろうが「出雲」を引き出そうが御自由に、ってことになりましょう。これでヤット「八雲」と「出雲」の missing link が解け、意味が判ったのではないでしょうか?
補強になるかどうか、もう少しイイガカリを書いておきますと、
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出雲風土記仁多郡三澤郷の条に、この地名に付随した説話として、アヂスキタカヒコが坂の上で『ミサハ』と言ったその地点から『水が流れ出た』、というのがあります。これは、三澤が元々san pe (或いは、san nay)だったとすると良く理解ができることになります。即ち、有名になった三内丸山遺跡の「三内」の語義に就いては「(増水が)流れ出る川」との試訳があります。(山田秀三著「東北・アイヌ語地名の研究」(草風館))。つまり和語で「ミサハ」と言ったら「水が流れ出た」というのでは筋が分からないが、"san nay" とか"san pe"と言ったのなら「水が出た」のが良く判ります。このように風土記に伝えられた説話と現実のアイヌ語地名の二点から、ここの「三澤」は「san nay」または「san pe」の翻字+意訳、ではなかったか、と考えています。(この項、補足:2000/10/15)
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三瓶山に入っている san pe の音。少し、弱いのは、風土記でこの山を「佐比賣山」と表記していることです。「サヒメ山」と読むわけですが、ま、私に言わせれば、サンペ、と言うような「ン」の音節が当時の和語にはなかったので、実は「サンペ」と呼ばれていたけど「佐比賣」と捉えたのではないか、と言うことになります。この山名の場合には「水が流れ出す」と言うよりも「前に出ている・モノ(ここでは「山」)」が相応しい語義かも知れません。つまり、海上から出雲国に接近してきたときに山宛てで航行する、目当てとなった山、と理解出来ます。
- 上記で、kur=「影」を「雲」に拡張解釈しているのが少し気になるので、服部四郎著「日本語の系統」(岩波書店)のp103から一部引用して置きます。「従来アイヌ語は日本語と関係がないように説かれたが、遠い親族関係がある蓋然性があることが明かとなった。たとえば、アイヌ語に kur(影)、niskur(雲)、kunne < kur+ne(黒い)、ekurok(暗い)などの単語があり、いずれも語根 斌ur を含むが、日本語の kurosi(黒)、kurasi(暗)、kure(暮)などに含まれる語根 斌ur に形も意味も似ている。更に、朝鮮語の kurum (雲)と比較するならば、日本語の kumo (雲)は kur+mo から来たとも考え得る。」
以上。
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