荒ぶる神 資料集 |
常陸風土記新治郡の条に「荒賊」と書いて原注に「阿良夫流爾斯母乃」と添えてあり
「あらぶる・にしもの」と現代振りがながあります。
土地柄だけにアイヌ語で理解出来るのかトライをして見ました。 先ず、これで想起するのは、あちこちで見る「あらぶる神」と言う表現ですので それを観察してみました。 播磨國風土記の神崎郡生野の条の記述から見て行きます。
通行人の半分を殺すという話は、播磨國風土記では、次のところにも出てきます。
筑後風土記(逸文)の筑後国の筑後国号の話のなかに「麁猛神」と書いて「あらぶる神」と読ませているのをはじめ、 風土記には、肥前(基肄郡、神埼郡)、伊勢(安佐賀社)、するがのてこの呼坂、などに、又、日本書紀の景行紀にも「あらぶる神」が出てきます。 これらに共通する特徴は通路の要所、険しい所、に居て、通行妨害をする神格で、播磨、筑後、肥前、伊勢では、半分の通行人を生かし、半分を殺す、という表現になっています。 更に、山城国風土記逸文の南郡社の条に、宗形の「阿良足神」が、播磨風土記の讃容郡の段に「阿良佐加比賣」があります。 これら各種表記の神々の神格が同一、或いは類似、であると仮定してみますと、「あらぶる」を次のような語群(即ち、概念の範疇)でくくる事が出来そうです。
ここから、伊勢の「安佐賀」地名も、古くは、或いは「あら・さか」だったのではないかとの推量も出来てきます。ま、それは、さておき。。。 最初に上げた「阿良夫流爾斯母乃」、「あらぶる・にしもの」の前半「あらふる」の 解明を上記とし、後半、「にしもの」に移ります。
にしものに就いて:
上記から、前半・後半を合わせて、「あらぶる・にしもの」の本来は、ar-hur-nis-kurで、原義は「片・丘・雲・人」、の様なことではなかったか、と思われます。(或いは、nispa = 旦那、村主、もありますので ar-hur-nispa もあり得そうです。)
上述の播磨風土記の揖保郡意此川条に出てきた、「出雲御蔭大神」の検討もしてみました。上と同じアイヌ語語彙が、ここでも適用出来そうです。即ち、
●上記の推定をいささかなりとも補強するつもりで、荒神社(or類似かも知れない神社)の所在地の付近に、片(山)(ar音)、 栗栖、「k_r_」音、なんてのがセットになっている傾向が見られることを 下のリストに提示致しますのでご観察下さい。 (参考:荒賊= アラブル・ニシモノ = ar-hur-nis-kur=片・山・天/雲・影/人)
このような「地名セット」を、なるべく広域からいくつか選び、リストします。
これから何を言おうとしているのか、と言うと、ar-hur-niskur/nispa(kamuy) が居て、それを「あらぶる神」→「荒神」と表記したのではないか。更に、ar-hur、の意味の翻訳らしい「片・山」とか、ar-hur→ar-pu と理解されて、pu = 倉、なので「片・倉」と翻訳されたらしいとか、前半部分、arを「青」と写し hurを「山」と翻訳した「青・山」なんかに姿を替えているかに見えます。 そして、その周辺には、これ又、漢字表記では様々な姿態で現れる kur が、来栖、国樔、久住、栗栖、屈巣などに垣間見られるように思えます。 あらぶる神、の具現(の少なくとも一つ)が蛇だとすると(常陸風土記参照)、それが「龍王」に転化するのは、うなづけます。ここから、「オカミの神」につながるような気がしてます。(龍王地名も中国地方から近畿に多いですね。)関連記事として、クレフシ山もご参照下さい。
以前、ここに述べていた「桂の木」関係は「カツラギ」に移動しました。 「カガナベテ」のファイルに土蜘蛛に触れた一節があります。 ご覧下さい。 |