神武紀31年・国状の描写
orig: 96/11/24
rev1: 97/07/10 根の国を分離
rev2: 97/09/07 color, table, minor wording

日本書紀の神武天皇の31年4月紀に、天皇が国見をした際、日本国名の描写を4種類掲げた節があります。それらの意味、解読、解説を全て「日本語」でしてありますが、釈然としないもの・ところがあります。それで、「先住民語」(!)で何かとっかかりがあるだろうかと、もがいています。
(1)神武天皇自身の表現:
「内木綿真 国、猶如、蜻蛉之臀
読み:「うつゆうの・まさきの・くに、なお、あきづの・となめ・のごとし」
岩波古典文学大系本の頭注抄:(P216)
「内木綿」「狭(さ)」「こもる」にかかる枕詞。かかり方未詳。
「となめ」「と」はシリ(尻)、ミトノマグハヒなどの「ト」(「口ヘンに占」は「嘗める」の意味。)
大意:狭い国ではあるけれども、蜻蛉がトナメして飛んで行くように、山々が続いて囲んでいる国だな、の意。
問題意識・「内木綿・・・」の意味が良くわからないことと、
・「蜻蛉がトナメして飛んで行く」と言うのが、どうして「山々が続いて・・・」となるのか。

そこで、先住民語の姿を残しているのではないか、と思われるアイヌ語を援用して、意味が取れないか、探ってみます。次の語彙をご覧ください。
〜の中tum後ろmak
木綿tumasa
胴体tumamke
最初に前半の「内木綿真さき国」から考えてみます。、上記の語彙から観察できるように、「中/内」とか「木綿」の語はアイヌ語では相互に非常に近い音であり、それらは又、「胴体」とも近い。アイヌには国土を人体に見立てて名付する慣習があり、「胴体」はさしづめ「本土、本州」のことでも表しているかと思われます。つまり、「内木綿」は、「本土・本州」のこと。「まさき」は、mak-sa-ke で「前も後ろも」位の意味。ここまでで、「国土の前も後ろも」か。

後半の「蜻蛉之臀なめ」ですが、交尾を uko-nupur と云い、それに非常に近い発音で、ukao-nupuriだと、「 互いに積みあがる山(山)」の意味になります。つまり、アイヌ語なら「交尾」と「山々の連なり」が非常に近い音になり得そうで、これで初めて「蜻蛉がトナメするように、山々が続く」が理解出来ます。

ちなみに、とんぼ、のことを hanku-choccha(p) と云い、直訳は、へそ・刺す(もの)です。とんぼの交尾は雌の尻尾の先、と、雄の胸・腹のあたり(ヘソと見立てた)で為されるそうで、とんぼを「ヘソを刺すモノ」と命名した理由が窺えます。

神武時代の「日本人」が、山々の連なる景色をみて、とんぼの交尾を連想しなかった、とは言い切れませんが、私には、そんな連想はとても出来ない。。。でも、コトバを通じるとよく判る。。。

通して:此の国は、国土の前も後ろも山々が続いているなぁ、と結論は岩波頭注と同じで良いと思いますが、その拠って来る所以は上記で如何でしょうか。


「内木綿・考」に別考を上げました。2003/12
(2)イザナギの表現:
「日本は浦安の国、細戈の千足国、磯輪上秀真国」

読み:「やまとは・うらやすの・くに、くはし・ほこの・ちたる・くに、しわかみの・ほつま・くに」
(秀真国には「ホツマクニ」との原注がある)

岩波古典文学大系本の頭注抄:(P216)
「うら」「心」(きっと、うら悲しい、などというウラなんだろう)
「やす」「平安」
「くはし」美しい
「戈」矛、武器
「ちだる」沢山有る、「ち」=千、「だる」=足りる、、、か。
「磯輪上」未詳
「ほつまくに」優れていて整い具わっている国
さて、「うらやす」 = urar-yasa = 霧を裂く、と解くと、ニニギ降臨の際の描写である「天の八重雲を排分けて」と近い概念になるのが興味を惹きます。
細戈千足国、は保留、というか、「原住民語」では解釈出来てません。。。無理矢理こじつけてみると、sapo-kor-chas, 姉の持つ城、が造れましょうが、これはこじつけです。
しかし、未詳とされている「磯輪上」と、一応、和語で解かれている「秀真国」ですが、si-wakka-kamuy pon-tumam 国、と解いてみました。意味は、真の・水・神  小・胴体(国土)です。 出雲風土記の「八束水臣津」が「初国が小さいので」国引きして来よう、との強い関連が 窺われます。

 
(3)大己貴大神の表現:
「玉牆の内つ国」
これは「日本語」解釈でも良いように思われますが、下記のような指摘もして置きたいと思います。即ち、「牆」を「壁」の類語として考えてみる事により
tama
tumam
tum
と云う風に何れも共通子音で構成されている語群である可能性に気がつきました。
この解釈は、また、古事記にある、大国主が素戔嗚尊を根の国に訪れたときに、頭の虱(しらみ)を取るように云われた場所、「八田間の大室」(やたまのおおむろ、広くて大きな室屋のことであろう/岩波)の「タマ」とも呼応しているようで、興味が尽きません。つまり「八田間」も「八重垣」も同じではないかと。 それは、さておき、、、
こうしてみると、
「内木綿」 tuma-tum (cf. tumam 胴体→国土・本土)神武の表現
「秀真」po(n)-tumamイザナギの表現
「玉牆内」 tama-tumam-tum大己貴大神の表現
と云う具合に共通項、t_m_(m)、が取り出せます。

今まで、他人さまの「出雲は(魏志倭人伝の)投馬国なり」を単なる語呂合わせだと思っていたのが、急に確からしく見えてきました。げんきんなもんですが。。(^_^)

disclaimers:
tama が「玉」を意味するのは、和語とアイヌ語が同源だからなのか、いつの頃かに    どちらかから、どちらかへ借用したのか、不明。しかし、本論に関する限り tama 「玉」の部分を外しても差し障り無い
tuma を「木綿」に対応させてきているが、実は tumuan senkaki、「普通の・布」が本来らしく、tumaは「普通の、中くらいの」、つまり「中、内」と同意の言葉に過ぎないようでもある。tuma 単独で「木綿」を意味したかは、更に研究要。

(4)饒速日の表現:
「虚空見日本国」

読み:そら・みつ・やまとのくに
岩波古典文学大系本の頭注抄:(P216)
大意:大空からみて、よい国だと選び定めた日本の国
nis空、天、雲
nis-kur
kur影、人
kir知っている、見覚えがある
kirkiru見る
このような語彙から、また kir/kur の多少の混乱(変遷?)を仮定すると、
nis-kur nis-kir nis-kirkiru nis-kur-kir 辺りに流動性を求めると、
nis-kur-kur (雲人)を nis-kirkiru (天・見る→空・見つ)と翻案したのか、思われます。
この雲人が後に土雲などにされるのでしょうか。

以前、本稿の一部だった、「根の国」を別ファイルにしましたので、御案内します。

また、「あらぶる・にしもの」、「荒神」、に就いて述べた荒神の稿も御参照ください。

お付き合い有難う御座いました。m(_ _)m


tum tuma tama などの語群を考えていると、隠岐島の地名、 都万、都万田、水若酢神社、玉若酢神社、なども、この一連の謎解きに 興味のある対象です。


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