私註・神武紀・賊の名前と地名

orig: 97/02/03
rev1: 97/11/24 ファイル別け+追記
rev2: 98/05/03 茅渟ファイル別け
rev3: 98/05/17 tablulized
rev4: 99/03/16


本稿では、神武紀に記載されている諸賊の征討戦に就いて見てみます。神武にとっての賊、とは即ち原住民、のことになりますので、人名などには原住民の言語で残っているはずというのが発想です。

長髄彦
最初の記事は胆駒山で長髓彦との接触。

長髓彦と石切神社祭神を関連づけた試論があります。石切神社のファイルをご参照下さい。

名草戸畔
他にも丹敷戸畔、新城戸畔、など出てきて、女賊に共通な「戸畔」を解いてみたいが未だにしっくりしてない。果たして本当に和語か。「戸」が甲類の「ト」であり、大野晋によると万葉集での使用頻度は、乙類の5分の1程度であり*、古来の日本語には無かった音らしい。つまり、アイヌ語など非日本語の可能性が高い。(*「日本語の世界1」中央公論社 P153) 強いて類似音のアイヌ語を挙げておくと:
top
top-se唾を吐く
tope乳、乳汁、乳液
tope-ni乳液・木
=イタヤカエデ
topen甘い
舞台は違うが、母木、おものき、との関連から tope が、昔に「母」をも意味していたりすると面白いのだが。。。。totto=母、乳房 pe=水、辺りから、あながち荒唐無稽な話でもなさそう。
母木邑
オモノキ、ハハキ、伯耆、鳥取、蛇、などの語彙が相互に関連しているらしいことを考察しました。長くなりましたので別ファイルにしました。 ここをクリックして「オモノキ考」をご覧ください。
茅渟
茅渟に就いて試論を別ファイルで挙げましたのでご覧ください。
他にも、雄水門、竃山、など興味ある地名が出てくるが考察出来てません。
高倉下
丹後風土記残欠-5 から再掲:

【高橋郷 本字 高梯

高橋と名付ける所以は、天香語山命が倉部山の尾上に於いて神庫を建てて、色々な 神宝を蔵していた。長い梯を設けてその庫に到り料と為した。それで、高梯と云う。 今猶、峯の頂きには神祠がある。天蔵と称する。天香語山命を祭る。(下略)】

先代旧事本紀(P106)で、天香語山の別名を「高倉下」亦「手栗彦命」としているも、こんな伝承と関係有るのだろうか。参照「高倉下」

高倉下:の語義を探索してみますと:
takar-kur-pok夢みる・人の・下、
takar-kurpok夢の・下
takar-kur-ratki夢の影・垂れ下がる
takar-koraci夢のごとく

のような語義候補が可能です。

高倉下が夢で剣が降下するお告げを聞いたのとつながりそうではある。 高倉下の別名「手栗彦」の「手栗」と ta-kar/kur のつながりはどうか。。。参照・高倉下

剣が天から落ちてくる:ユーカラには kamuy-ranke tam 神が・降ろす・剣、 と云う表現が頻繁に使われている。

古事記にはこの話の部分に「大熊髪出入即失」との一文があり、「髪」の解釈に困っているようであるが、ユーカラには kamuy-otop-us (神・髪・ある)という登場人物が居る。主人公の育ての親。
頭ヤタ烏
=pas-kur=炭(の様に黒い色の)・人 とも解けるが
走る・人、とも解ける。これではないか。。。
ユーカラにも烏に先導されて敵地に赴く描写がある。他にも、カケス、ミソサザイ、(大陸ではカササギ)、などが獲物の在処を教えてくれるそうだ(更科源蔵「アイヌの神話」p73-)。神武時代を過ぎると「烏」を尊ぶような記事が見当たらない。
続いて、莵田、穿(ウカチ)邑、などの地名があるが、解けていない。
兄猾・弟猾
只、引き続く「兄猾・弟猾(ウカシ)」が「ウカチ邑」と音の近いのが注目される。そして、「猾」を ekasi=祖父、老人、翁、先祖(男)と関連づける説も既にあったように記憶する。
猾兄弟に引き続き磯城兄弟との戦いの記事があり、何れも弟が体制側につき、兄が賊として殺される。このモチーフはユーカラでは、主人公の妹が敵方につき、敵方の妹が主人公につく、と云う物語構成が頻繁に見られるのと類似している。
紀では、兄・弟となっているが、兄・妹、だったのかも知れない。事実、兄・弟の字が必ずしも男性を意味していなかった。えひめ・おとひめ、など。後段では、椎根津彦を老父に、弟猾を「老婆」の姿に作らせる話もあり、弟猾が女性であった フシもある。(男性であっても変装出来るでもあろうが。。。。)
兄猾をやっつけた後、弟猾が、「牛肉」と酒で供宴した、というのが意外であり 新鮮ですね。当時、牛肉があったんだ、と。。。
磯城・師木
ところで、磯城(師木)などと書かれる「シキ」ですが、「目」を意味する sik、その被所有形は siki(hi) があり、磯城県主の子孫に「オホマ」(大間,大目)「フトマ」(賦登麻>太目?)など「目」に絡んだ音があり注目しています。参考:欠史8代の后妃たち
尾のある人
吉野で「井光」と「磐排別」に出会う。両者とも「尾のある人」だと書いてある。井光に就いても御参照下さい。
sar =尾、葦原、湿地、ですので、混乱とか意識的な誤訳でしょうか。
sar-un-kur葦原に・属する/居る・人
sar-us-kur 尻尾の・ある・人
ニヘモツ
(やな)で魚を取っていたニヘモツの子が阿太の鵜飼いの始祖だ、との話。
で取るのと鵜飼いで取るのでは漁法が違う。「養ろ部」(「ろ」は難しい漢字、左が「蘆」に似ていて、右が「鳥」。やはり、鵜のように魚を取る鳥のこと)に「うかいら」と仮名が振ってあるが、= uray が原義ではなかったでしょうか。
金鵄
鵄の光が輝いてtom(キラッと)光る、照る、輝く
鵄→鳥見tom-i輝く・モノ
天の羽羽矢
神武と饒速日が持っていたこの矢の名前が神代紀の天稚彦も持っていたことからの考察を天の羽羽矢 で述べております。ご参照下さい。
侏儒
高尾張邑の土蜘蛛は身長が低く、手足が長く、小人のようだ。既に指摘もあろうかとは思うがアイヌ説話に出てくるコロボックルを想起させる。魏志倭人伝の「女王国東渡海千餘里、復有国、皆倭種。又有侏儒国在其南、人長三、四尺・・・」を連想する人も居られるだろう。。。。(^_^)
磐余(いわれ)邑
磐余のもとの名は「片居、または、片立」とされている。この旧名を「かたゐ」と「かたたち」と読むとして、それらが同じ語だとすると、「ゐ」と「たち」では音が違いすぎる。ところがアイヌ語なら「居」も「立」も語頭音が同じになる。即ち、
居る an
立つ as
座らせる/据える/置く/(仕掛弓を)仕掛けるare
片方ar
これらの語群に、接頭辞 i- 「それが,その」、をつけて、i-ar-are(その・片・座)、i-ar-an (その・片・居)、i-ar-as (その・片・立) 辺りに原型が窺えそうでもある。(また、iwor=部族毎に境界の定められた猟地、という語もある。)
舞台場面が多少違うが金鵄がやってきた時には雹(アラレでも良いだろう)が降って来たとの表現もあり、この i-ar-are とも関連するのだろうか。
なお、二重母音を嫌った古語では、i-ar-areはイワラレ、と捉えられた筈である。 そこから、「ラ抜き」(^_^)で、イワレ。。。。
(追)市磯池:履中3年11月紀に出てくるこの池の名前も、i-chis=その・岩、とも読める。


短いコメント集です。

  1. 十五歳の時に「太子になった」。。。。ウン?「太子」?、じゃ、誰が天皇だったんだ?

  2. 吾田邑(あたのむら):「賊」を「あた」とか「にしもの」読ませるが、この地を「賊地」と考えていたのだろうか。。。参考:ota = 浜、

  3. ニニギが「天の関(いわくら)を闢いて(ひらいて)、雲路を披け(おしわけ)」とは、降臨の時の様子ですが、urar-yas 雲(霞)を破る、→浦安、なんて事も考えてます。

  4. 1,792,470余歳:人類の起源@アフリカ女性もビックリするこの期間の事は秀真伝がウイヂニ暦として伝えているものと合致するが、信憑性が疑問視されている書らしいので、まだ勉強してません。。。

  5. 天磐船:アイヌでも sinta という天を駆ける乗り物(神の揺りかご)が頻出する。但し、材料が岩石かどうかは(私には)判ってない。

  6. 塩土老翁:「内陸の人間が、海浜で塩を作る人や塩を行商して来る人に、子供の養い親ないし仮親になってもらうという擬制的親族の風習も、大隅半島や日南海岸、薩摩半島西岸の串木野、さらには種子島に分布していた。」(隼人世界の島々、p26より)


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