和歌山市秋月に「国懸(くにかかす)神社」と「日前(ひのくま)神社」がある。
神奈備さんのサイトから一部拝借すると:
「懸(かかす)」の語義を調べてみる。「かかす」という語は『時代別国語大辞典上代編』(JK)には出ていない。
しかるに『沖縄古語大辞典』には、 すなわち、「国懸(くにかかす)」とは「国照」であり、古代の「天照国照」というモチーフが「国懸」のように姿形を変えているらしい、ということが伺える。 これは「布忍」の語義探索(『初期天皇后妃の謎』で発表した私論では「布忍」=「国照」とした)において、琉球語を参考にすると「押す」が「照らす」の意味である、と確信できたのと同様に、琉球語が日本古語の検討に重要な役割を持つことを示すものであろう。
一方、「日前」を考えてみる:
●さて、「白前」と書いて「のかがみ」いう草本を指す。(『倭名抄』) ●JKには「かがむ 勾 まがる。屈曲する。」と出ており「『勾』を動詞『カガム』の連用形『カガミ』と訓じ、「鏡」の借字として理解できよう。」と考察している。つまり、前方にかがむ、から「前」が「かがむ」と読まれうるのではなかろうか。(「前かがみ」という語は上代には見当たらないが、「前に」「かがむ」という言葉遊びとして認知出来そうだ。) つまり「日前・国懸」で「日鏡・国照」という意味が浮かび上がってきて、これは「天照・国照」という古くからの語彙セットと一致する、と考える。 なお、服部四郎著『日本語の系統』では、琉球語は、本土日本語と1700年ほど前に分離したと考えている。私流に言い換えれば、琉球語は、本土日本語の古形を遺存している「可能性」がある言語である。 「天照・国照」の例: 先代旧事本紀: 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 古事記:大倭帯日子國押人(第六代天皇:押人は忍人ともある)+天押帯日子(兄) 上述のとおり「押」「忍」いずれも「おし」と読み、推定古義は「照る・照らす」。
先代旧事本紀: 天祖天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊 (類例として)日本書紀: 天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊 (類例として) アイヌ伝承:アイヌラックルは国焼郷焼大椀額際鍋抱の子(参考) アイヌ伝承:村滴々、国滴々;スサノヲ相当?(参考) なお、琉球語では「くま」は集落の意味があり、本土の「くま」地名も単に集落を意味している場合もありそうだ。 追加:前と鏡 「まふつ(の)かがみ」と読まれている語がある。その漢字表記は「麻布都鏡」(播磨風土記)と「麻経津鏡」(神代紀)である。前者では「まふつ」としか読めそうにないが、後者では「まへつ」も可能である。 記紀では「経」を「ふ」と読み、「へ」と読む例は見あたらないが、万葉集には「ふ」と読む例も多いが、「へ」と読むものも幾つもある。一例は: 01/0034/5 としのへぬらむ 年乃經去良武 である。 つまり、「まふつ鏡」は「まへつ鏡」つまり「前の鏡」ということで、一種の語呂合わせではないのだろうか。『時代別国語大辞典上代編』は「マフツの意味は不明」と書いている。「まへつ」が原点だから「まふつ」で考えていても解けるわけはない、ということにはなるまいか。 「前」を「鏡」と考えると 天日矛(国懸のシンボルは日矛)と 前津見→鏡ツミ(日前神社のシンボルは鏡)の対応がオモシロイ。(応神記) 日前・国懸神宮のシンボルは、天日矛+前津見カップルと等価である。 メモ: かがみ の語構成としては 影・見 であろうとされる(JK)
なるほど: また、 たか:たけ は 高:岳 と書かれているようにも伺える。 |