「国懸」と「日前」の語義・2
ORIG: 2003/11/02

神奈備さんから下記のようなお知らせがあった。(番号、強調は私が施した)
(1)『伝教大師全集』巻四に、紀伊国を代表する神として、「名草上下神」の名が見えます。この全集の他の部分にも、諸国の著名な神社列記の中に「名草上下溝口神」の名が見えます。
(2)名草郡は日前国懸神宮の神領ともなっており、名草で上下の二座とされる神は日前神と国懸神とするのは自然なことです。他の有力な神社は伊太祁曽神などですが、伊太祁曽の場合は三兄妹神、また紀伊三所神などと三座でセットになっています。
(3) 江戸時代の『紀伊続風土記』には古伝として、日前神を下宮、国懸神は上宮としています。
(4) 要するに、日前国懸神宮の本来の役割は用水の分配口の管理ー水分ー水利を司る神でした。
(5)日前国懸神宮の東600mに音浦樋と呼ばれる分水口がありました。
以上『和歌山市史』から。
(4)が結論であり、かなりハッキリした物言いである。しかし私は列挙された根拠は説得力に欠けると思う。
(1)(2)上下の二座の在所を求めたものであろうが、日前国懸も二座だから、というのでは余りに単純だ。
(3)「古伝」は当然、所載の書物が書かれるある程度以上以前からの伝承のことである。例えば、鎌倉時代に始まった言い伝えだとしても、江戸時代まで下れば「古伝」というかもしれない。奈良時代とか平安初期にはすでにあった伝承ならば伝教大師も「名草上下神」について述べるときに当然触れているであろう、と言える可能性が残る。
(5)は追加的傍証のつもりなのだろうが、この神社の本来の役割と関係づける根拠がない。
日前(日鏡を祭る)国懸(日矛を祭る)神宮が水利を司る、とはどうにも違和感の残る解であった。
ところが、である。『沖縄古語大辞典』によると「かは」には「皮」の他に「川、井泉、井戸」の意味と、「日」の意味が出ている。三日(みっか)などの「か」と同じ、とある。つまり沖縄古語を介すれば「日」と「溝、水、井戸」などがつながるのである。

例えば「日前」に「か(は)」の音が入っていれば、それを水に関連させる語呂合わせ・俗解が可能となりそうだ。

ということは・・・何時の時代か、この和歌山に行われていた言語と琉球方面の言語が近かったということを示唆する。

例えば「弥生語」を想定して、それが琉球方面にも広がり、少なくとも紀伊にも広まった。琉球では「かは」=「井戸、日」を長く保存したが、紀伊では、あるとき忘れられた。

または、琉球の「かは」=「井戸、日」が比較的新しい時期に紀伊に持ち込まれた、という可能性も検討する必要があろう。

なんらかの形で、「かは」=「井戸、日」という言語の使い手が日前・国懸神社の性格に水利分配を付与したものと考えている。

なお、和語側でも「か」は「三日(みっか)」などの「か」に残るとともに、もう少し独立性のある語として、ヤマトタケルのうたに応じた返歌に「かがなべて」とあるのが「日々並べて」と理解されている。

さらに神奈備さんのサイトを拝見していると面白いものをみつけた。日前神、国懸神を祀る神社である。ここには、
播磨 印南 泊神社(とまりじんじゃ)「天照大神、國懸大神、少彦名大神」
播磨 印南 天神社(てんじんじゃ)「泊大神、天照大神、國懸大神、少彦名大神」
がリストされている。紀伊での「日前」がなく、その替わりであるかのように「少彦名大神」となっている。これはどうしてであろうか。

それは「少彦名大神」は「ががいもの船に乗ってやってきた」からである。「ががいも」とは別名「かがみ」とも呼ばれる植物のことだ。紀伊の「日前」が日鏡を祭っていることから、「かがみ」つながりで「少彦名」が出てきたのであろう。なお、泊神社や天神社が水利分配の神格を持っているかどうかは(私には)不明である。


総じて:
・琉球語には、日本古語の中でも忘れられた要素が残っている可能性がある、という前提で、
・国懸 は 国輝かす が原義であった
・日前 は 日鏡 が原義であった
・特に 「かかす」(輝かす)に「懸」という字を宛てた時には既に「かかす」が「輝かす」の意味であることが忘れられていた可能性が高い。
・「前」字に関しては、「勾」字が「かがむ、かがみ」とも読まれ「鏡」に宛てられたという考えがあり(時代別国語大辞典)、また、「のかがみ」という植物名を「白前」と書くこと、「前かがみ」(前傾姿勢)という語、これ自体は時代的には新しい語かもしれないが、こういう複合語が出来る背景は想定してよかろうこと、とを合わせて「前」が「鏡」を指すもの、と推定する。


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