影・陰考 |
「国懸(くにかかす)神社」と「日前(ひのくま)神社」の名義を考察していたときに「かげ(影・影・蔭・翳など)」という語について考えたことをまとめておく。
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先ず『時代別国語大辞典上代編』(以下JK)の「かげ」の項目から拾っておくと:
とあり、現代では「かげ」は「陰影」(上の5,6,7)が第一の意味であり(広辞苑)上代における語感とはかなり異なっていることに注意しておきたい。 |
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祝詞には「天乃御陰・日乃御陰」という表現が頻出(例:祈年祭、春日祭)し「天乃御陰・日乃御陰に隠坐」という場合と「天乃御陰・日乃御陰と定め奉りて」と使われている。 | |
さて、JKは「かげ」に関して「光と、光を遮られた暗い部分という、まったく相反する意味が同一の語形の中に共存しているが、その意味の分岐を考えるのは容易でない。」としている。 | |
これの理解に迫るには、「*かけ」(JKに見あたらない語に*をつける)という語の存在を仮定して、それが「日・気」の意味であると理解することから始まりそうだ、と考えている。 これは「か」が「日」をも意味するからであり「気」と書かれる時の「け」は「あるものから発する精気。ものの気配。」を意味するからである。「気」のこのような、上代の用例としては「塩気、火(ほ)気」があるが多くない。(湯気、寒気などは後世の造語のようだ。)「平安時代には複合語の種類も多く、独立して「けも無し」などとも用いられ」た、とある。(以上もJKを参考にした。) |
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「かげ」が「日・気」と分析できれば、太陽などの気が、あるいは照らしている部分も、あるいは光が遮られた暗い部分をも意味しそうではないだろうか。 | |
この考察の副産物として「思金神」の語義を考えたので別項に掲げる。
『古事記』岩戸隠れの段:「手次繋天香山之天之日影而」、ここの「日影」は「かげ」とのみ云う「ひかげのかずら」のことで「茎を装飾に使う」植物のことである。この段では「天香山」の産物が5種出てきていて、それらに先行して「天金山之鉄」が出ている。「金山」を「香山」の間違いとする校訂はない。 『播磨国風土記』では「蔭、かげ」を「冠」の意味で使われている。 |
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「影」と翻訳されるアイヌ語に kur がある。このアイヌ語の意味を諸辞典から拾い上げると、「影(うつる影)、人影という時の影、姿、見える形、〜の人、〜する・した人」とある。また、知里真志保によると「古くは、魔、神、の意だったらしいが、今はもっぱら 人の意を表す」という。また、kur-ne (実際には kunne と音便する)となると、黒くなる、暗くなる、などの意味で「夜」である。 ユーカラを読んで行くと、神々はその霊力によって「影(雲)」として登場する、その「影」を解き放って神の実体を見現す(顕現する)には、見る方も相当な霊力を必要とする、ということが読みとれる。 日本語側で、これに対応する記事がある。『古事記』の天孫降臨の段で「天の八衢(やちまた)に居て、上は高天原を光(照)らし、下は葦原中国を光らす神、ここにあり」とあるのがそれである。この段階では誰(何神)だか判らない。『日本書紀』では「目が勝って誰何(質問)出来ない」とする。そして天のウズメは「面勝神」であるから「誰がここに居るのか」問うて来い、と命ぜられる。『日本書紀』では「目勝於人」(ウズメは他のものより目が勝っている)ので派遣される。そして、その神がサルタヒコであるということを見破る:ウズメはサルタヒコを「発顕」した、と表現される。 サルタヒコの「影」をウズメの霊力、眼力が解いた、ということである。このモチーフがアイヌのユーカラのモチーフと共通するのも興味深いものがある。 「かげ」の原義は「日気(かけ)」であったのではないか、と思っている。 なお、kur の語は nis kur (天/空・影)と組み合わせられて「雲」の意味を持つ。 |