オモノキ考
神武紀私註・続き
orig: 97/12/08
神武紀に出てくるオモノキ村に就いて考えております。神武軍と長髓軍とが最初に会戦した孔舎衛での出来事で、下記記述があります。

「ある人が大樹に隠れて難を逃れた。それでその樹を指して『恩母如』(その恩、母のごとし)と言う。時の人、それに因んでその地を『母木邑』と言う。今、『飫悶廼奇』(オモノキ)と云うのは訛である。」(日本書紀、神武紀)

さて、この場所に就いて、岩波の大系本頭注では、「大阪府枚岡市豊浦町かという」とあります。また、「訛である」という原文に関して、この頭注は「母木邑」を「オモノキ・ムラ」と読んで、後に「邑」を略して『飫悶廼奇』(オモノキ)と読んだ、と理解して、それを「訛」と捉えています。

また、この地は、大阪府八尾市恩智の辺りに比定する考えもあるようです。ニフティでハンドル名、河倭知さんから、土地の年配の方に面白い話しを聞きました、と下記のお話がありました。

この辺りは現在【恩智】と言ってるが、その以前は【栂木】と 書いて【おものき】と呼んでいた。そのいわれは、神武東征の時この辺りから生駒山を越えて大和へ入ろうとしたのだが逆に攻めかえされ、この地にあった大きな木の穴の中に入って身を潜めていたら、木の上から大きな蜘蛛が降りてきて穴の入口に蜘蛛の巣を張った。その結果、穴の中は捜されずに済み無事逃げ出せた。そこで、この木は私を守ってくれた母なる木と言う事で【栂木】と呼ぶようになり、その恩を知らなければならないと言う事から【恩智】と呼ぶようになったそうです。

さて、さーて、「母木」「母木」「オモノキ」「オモノキ」などと呪文のように唱えておりましたが或朝、「ハハキ」じゃどうなんだ、とフト思い当たりました。

「オモノキムラ」を「オモノキ」と略称したことを「」とするのも解せなかったのですが、「ハハキ」が「オモノキ」に変わったのなら、訛、としても良いかも知れません。しかし、まぁ、これだけでは単なる語呂合わせ遊びですが、、、

「ハハキ」と云うと「伯耆」(今ではホウキと読みますが、昔、ハハキと読んだ)を思い出します。今の鳥取県域の旧国名です。これとの関連を探ってみますと、、、

幸い「伯耆風土記」の逸文が残っていて、それも国号に就いて書いてあります。(岩波大系本の頭注では、「古代の風土記の記事とは認められない」と書いてありますが、参考には出来るでしょう。)それによると、

手摩乳・足摩乳が娘、稲田姫、八頭の蛇が呑もうとするので、山中に入った。 その時、母が来るのが遅れたので、姫の曰く『母来々々』(ははきませ、母来ませ)。それで『母来国』と名付けた。後に改めて『伯耆国』とした。云々

フム、昔の人も「伯耆」と「母来」を関連・連想づけてるんですね。私だけではなさそうです。(^_^) 伯耆、と言えば今の鳥取県(西半)ですが、「鳥取」という語、或いは名は、垂仁天皇紀に出てきます。即ち、垂仁の皇子である誉津別(ホムツワケ)王は喋れなかったのですが鳥を見て喋られるようになった、その鳥を「天湯河板挙」(あまの・ゆかわ・たな)が出雲(或いは但馬)で捉えてきたので、誉めて「鳥取造」に任じ、「鳥取部・鳥養部・誉津部」を定めた、とあります。(なお、古事記の方には同様の説話がありますが、鳥を追っかけて行った先々は、紀伊、播磨、因幡、丹波、但馬、近江、美濃、尾張、信濃、越、とあります。)

その鳥取部は(その後隆盛して、か)、武蔵、美濃、出雲、備中、河内大県、和泉日根、越中新川、丹後竹野、因幡邑美、備前赤坂、肥後合志、下総印旛、伊勢員弁などに広く分布していたそうです。太字にしておきましたが、河内大県が含まれていることに御留意ください。

さて、アイヌ語です、(^_^)。

totto
ni
tokkoni
それでどうした、ってことなんですが、こんなストーリーが考えられないでしょうか。

  1. 河内国恩智や大県の地は、大昔(縄文語で)totto ni と呼ばれていた。
  2. 和語を持った人々が移住してきて、その地名を、意訳では、母・木、ハハキと呼び、音写では、トット・ニ、と呼んだ。
  3. トットニは、それこそ訛って(参考右記)、乃至は、和語から都合の良い単語を「当てはめて」、鳥取、ト(ッ)トリと呼んだ。
  4. 「ハハキ」は母の別語である「オモ」に言い換えて「オモノキ」とも言った
  5. 垂仁天皇紀などの「鳥を取る」説話は、この地名とそれに基づく氏族名が先にあって、それらに付会して作られた説話なのだ
「ニ」と「リ」が混乱・共通している例:
アイヌ語側では:
  • ninar=rinar (知里真志保著「アイヌ語地名小辞典」)
  • ni-kewruru<ri-kewruru (同上)
  • ani>ari; menoko>meroko; ほか(知里真志保著「アイヌ語法概説」P18 音韻互換)

また、日本語サイドでも:
  • 「稲荷」と書いて「イナリ」と読む、
  • 「カハタ」というある女性の名前は「カハタ」ともいう例がある

そんな背景から、鳥取部の起源が河内恩智・柏原市を含む地域で、オモノキ地名のある地{私説では実は旧名トットニ}だとすると、良く判るような気がします。柏原市、と書いて区域を広げてみたのは、柏原市大県の南、高井田に「天湯川田神社」があり、鳥取部の祖となる「天湯河板挙」ユカリの神社だから、です。

また、上記にアイヌ語 tokkoni =蛇 を掲げましたが、それは、和語古語で「ハハ」は「蛇」をも意味しているので、たいへん興味あるパラレルだと思ったからです。(記紀に登場する「天のハハ矢」とかスサノヲがオロチ退治に使った「天のハハ切りの剣」などの「ハハ」も「蛇」の意味だと考えられています。) 即ち、
和語意義アイヌ語
ハハ母(木)totto(ni)
ハハtokkoni

「母」と「蛇」が同音・類似音というパラレルがナンなのか、、、

そして、伯耆国号の由来に「蛇」が入ってきている。ナニカありそう。。。ですね。

なお、totto と tokko(ni) は直感としても十分に似ている音ですが、t/kの間に揺れのある実例として、2日を意味するのに、tu-to と tutko(正綴法の規定の仕方によっては、tukko と書いても良くなる)の両語があるのが参考・補強になります。

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「出雲の語源」を別ファイルにしました。97/09/11