赤衾伊農意保須美比古佐倭気命
あかふすま、いぬの、おほすみひこ、さわけのみこと
風土記に出てくる出雲の神様
ORIG: 95/05/10
REV1: 97/07/11 format & link
「赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命」(あかふすま、いぬノおおすみひこ、
さわけのみこと)と云うジュゲムもびっくりするような名前の命(ミコト)の事が「出雲風土記」
に出てきます。
このミコト名に関して些か考えた事があり、以前 NIFTYの会議室にアップした事がある物ですが、
書き直しましたので、ここで、お目に掛けたいと思います。
【I】考察の基となる諸点から述べます。
-
1. この命は、出雲風土記の秋鹿郡伊農郷と出雲郡伊努郷の条の二ヶ所に出て来ます。
(「努」は「農」とも書かれ、「倭」は「和」とも記されれます)
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1.1 秋鹿郡の伊農郷の条では、「赤衾伊農意保須美比古佐和気能命」の后、
天のミカツ姫が此の地をイヌと名付けた、との説話があります。
天のミカツ姫の旦那はアジスキタカヒコともされており(楯縫郡の条)そうならば、
「赤衾伊農意保須美比古佐和気能命」=アジスキタカヒコの如し、
(岩波古典文学大系、風土記頭注)とも考えられています。アジスキタカヒコならば大国主の子どもと考えられています。
(アジスキタカ彦、ミカツ姫に関しては羽羽矢考、
カヤナルミ考もご覧下さい。)
-
1.2 一方、この命は、出雲郡伊努郷の方では、国引きをしたオミヅヌ命の子、
とされています。なお、漢字表記は少し違っていて「赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命」ですが、同一と考えて良いでしょう。
即ち、このミコトの親に関しては二説(大国主か、オミヅヌか)あることになり
ます。オミヅヌ=大国主とか、オミヅヌも大国主(職名)の一人なら
矛盾にはなりませんが。。。
2.さて、早速、話が飛びますが、ニニギの長男(海幸)と弟(山幸)の話の中で、
日本書紀の第2の一書には、意地悪をした長男が、海神を訪れて帰国した弟に謝って曰く
「これから先は私の子々孫々まで末永く、つねにあなたの俳優{一説には狗(いぬ)の
真似をするものという}として仕えます」と云い「隼人たちが現在に至るまで天皇の
宮墻(みやがき)の傍を離れずに天皇の御代御代に狗の吠える真似をして奉仕する由緒
である」とあります。そして、この長男が隼人・阿多の隼人の祖、とあります。
同様の記事は「先代旧事本紀」にもあって「亦、狗人とならむ」と言ったとあります。
これらの事から、「いぬ」とは、いぬ族の言葉では「私、自分、人」と云った
範疇の意味合いで、決して「犬」の意味ではなかったのではないだろうか。
「アイヌ語」で「アイヌ」とは「人」の意味ですしエスキモーの「イヌイット」も
「人」の意味です。
そして、「いぬ族」が「ニニギ族」に敗戦(或いは、敗戦に近い講和を)したとき、
誇り高き「いぬ族」は「ニニギ族」の言葉で「犬」と関連づけられた、と言うふうに、
思われます。ここで、「講和」と書いたのは、天皇家と九州の娘との婚姻が目立つ
からです。即ち、
-
ニニギの奥さん:木花咲耶姫:南九州 → 山幸、海幸
山幸 の奥さん:海神の娘(豊玉姫) → ウガヤフキアエズの尊
ウガヤの奥さん:玉依姫(豊玉の妹) → 神武天皇と兄たち
神武 の奥さん:吾平津姫:南九州 → 手研耳命
神武 の奥さん:媛たたら五十鈴媛命→神八井耳、神沼河命(第2代天皇)
3.隼人の本拠は鹿児島県南部、大隅・薩摩半島、です。また、隼人の中には、京都府綴喜郡
田辺町の大住郷に移住させられたものあります。
-
(出雲大社は古来、天日隅宮、天日栖宮、。。。と呼ばれていた上記の宮号の一部に
「スミ」が共通している点にも興味が引かれる。)
4.「佐倭気」を考察するに当たり、ヤマトタケルが東征した際に捕らえてきた
「蝦夷」で播磨、安芸、讃岐、阿波、伊予に配置されたた部民を「佐伯部」と
呼びましたが、この両語の類似が注目されます。
5.日本古代語では二重母音は避けられていた、よって、「佐伯」の発音は
sa-e-kiではなく、sa-we-ki か sa-ye-ki か sa-he-ki であった
可能性が高い。従来の説では、「塞る・さえぎる」の意味に捉えられているようで、
sa-he-ki と考えられています。一方、「佐和(倭)気」は sawake でありましょうから、
sawekiを表記するのに充分近い。さて、sa-he-ki を「佐倭気」
と書くものか、もう少し研究が必要です。
6.「サンカ研究」田中勝也著(新泉社)に、「神社啓蒙」(寛文年間(1661-1673)成立)を引用して、
-
出雲の諸社では木偶(でく)を作って隼人と呼ぶ(中略)何の遺風か、
それは、隼人等は今に至るに天皇の宮牆のを離れず、吠え狗(犬)に代わってつかまつっているのである。
佐田神社の北殿はニニギの尊であり、隼人に護衛させるのは故あることであろう、との主旨を述べている。
【II】上記の諸点から:
「赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命」は次のように解読出来そうです。
赤衾 不明(但し、下記)
伊努 隼人のこと
意保須美 大隅で出身地を表すか
佐倭気 佐伯のことで隼人の別称・部民名か
|
「赤衾」は判らない。しかし、Nifty の同好の志からのご指摘で、モン・クメール族に近い
アカ族に、ニニギと同様に「真床追衾」で降臨したとの神話があるとの御教示を頂いた。
余りにも似過ぎているので、かえって語呂合わせの不安があるが、アカ族の神裔を意味して
いるのだろうか?
まとめて、「赤衾伊農意富須美比古佐和気能命」の名義は「(アカの神族の後裔?)、
隼人、大隅出身の彦、佐伯部族の長」ではなかろうか。
【III】上記から出雲と大隅/隼人のウッスラとした関連の印象が出来てくる。
私は以前から、大山祇(ツミ)の子孫と名乗る者が出雲と南九州に居るのが、
気になっていたので、さらに考察を進めてみる事にした。
-
1 伊農/伊努/犬・狗/隼人の語群が同一/類似の概念を表すとすると、
- 「大年神」(素戔嗚尊の子)が娶った「伊農(いぬ)比売」も隼人の
一族ではなかろうか。そうだとすると、古事記で「伊農比売」の親と
される「神活須毘神」も同族であろう。
- 2 この「神活須毘神」の一例からだけで気がひけるが、キッカケとしては構わない。
作業仮説を立てるヒントにはなる。即ち、
- 「神・・・・神」「神・・・比売/命」という具合に最初に「神」を付ける名前が
他にも散見されるが、この命名方法は隼人/出雲民族、或いは先住民族の、高い地位の人名の
特徴ではなかったろうか?
例としては、「神素戔嗚尊」「神吾田津姫(木花サクヤ姫の別名)」「神大市姫」
「神屋楯姫」「神皇産霊」等、が挙げられる。「神」が前置詞になっていることに
関しては神prefixでも論じておりますので、ご参照下さい。
- 3 上の「神大市比売」は「大山津見」の娘としてあり、そうならば
「木花サクヤ姫」、「木花チル姫」更には「手名椎・足名椎」と
兄弟・姉妹ということになる。(尚、クシナダ姫は手名椎達の娘)
- 4 「手名椎・足名椎」の椎(ツチ)は打つ・叩くの意味があり、手や足を叩く
のは隼人の所作の特徴とするところである。
5 出雲・スサノヲの周辺の理解に、隼人を導入すると新しい視点が開けそうで、
そういう研究が進む事を望んでます。また、島根県の「八雲立つ風土記の丘」では
1995年に「古代の島根と南九州」と銘打った特別展をやったそうで、
「良いところを突いている」と思いました。
余談:
● 上記でさえも既に想像が勝っているかも知れませんが、更に、
- などの語群に関心をもっています。
「漢委奴国」の「委奴」を「いぬ」と読んで、それは「いぬ」族の国だったの
ではないか、との視点を捨て切れません。
●「トヨ」に就いて:「トヨ」は次のような言葉に入っている。
豊受神 | 食物の神
|
豊明 | 皇室の食事/パーティ |
十代物袋 | 石上神宮の祭壇に「十代物袋」と墨書した五角形の袋が榊からぶら下がって居ましたが、これも「トヨモツ」の入った袋なのでしょう。
[2007/11/24:石上神宮に電話で問い合わせたところ「トシロモノノブクロ」と読み、布留大神のご神徳を遷したもの、とのことで、私説のように「食物に関すること」ではない、とのことであった。古義が忘れられているのかも、と云いたいところである。] |
トヨタナモツ | 「上記」で神に献納する「十四」
(これも「トヨ」と読める)種類の穀物
|
とよおし | サンカでは食事
|
これらの例から、「トヨ」とは「豊か」と云うよりは、穀物、食物の意味であろう。
なお、「14」という数字は古事記の国生み神話でも、大八島に六島を加えて14にしている
風情があり何か意識される数値であったようにも見えます。
参考:アイヌ語 toy=畑、耕地、土 or=〜の中、toy-or 畑の中(で)
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神prefixにて「神」が前置されている例を検証します。
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