アマミンチュの各種語形

orig: 2004/03/03

琉球列島の創造神「あまみきよ」に関わる各種語形を『沖縄古語大辞典』からリストしておく。対語の「しねりきよ」にも同様の変形を応用してよいだろう。
あまみこ、あまみきよ、あーみちゅ、あまにこ、あまみきう、あまみきや、あまみきよ、あまみきよう、あまみく、あま美久、阿摩美久、あまみち、あまみちゅ、あまみつ、天人(あまみつ)、あまみつー、あまんこ、あまんこう、あまんちゅ、あまんちゆ、あまん人(ちゆ)、あまん人、アマンチュ、あまんちゅー、あまんちゆー、あまんちよ、あまんつ、あみっつー、天人、あまみこ、天御子(あまみこ)、天美子(あまみこ)、天御子、天美子
上は「人」とか「神」の呼称である。それに対して「あまみや」となると「アマミクの時代」となる。「あまみや」は「あまみきよ」のいた所、遙かに遠いところ、の意味からさらに「遙かに遠い時代」「むかし」の意味をもつようになったものと考えられる。
上記リストを見ていると和語サイドとの呼応に興味が持たれる。即ち:
天御中主アマミチュゥ???
天満あまみつ→そらみつ(大和の国)
阿麻美許曽神社比賣許曽神社、波牟許曽神社
甘美鏡崇神紀。諸所の「うまし」は「あまみ」が原点?
うましまぢ
うまし葦牙のひこぢ
うまし小汀
可美うまし、と読むが、あまみが原点?
2004/4/3追加↓

「アマミキヨ・シネリキヨ」と言うこともある。「アマミ」の解釈試論では「シネリ」も解いて貰いたいものだ、と思っている。

外間守善著『沖縄の言葉と歴史』(中公文庫)を参照する(p149前後)
伊波普猷の考え方で、外間守善も賛同しているのは
「ニライ・カナイ」の「カナイ」は「ニライに付いた意味のない後付語である。伊波はさらに、アマミキヨ・シネリキヨが男女二神と解されたり、首里もり・真玉もりが二嶽とかんがえられたりしているのも、もとは一つだったものが二つのものと考えられるようになった例であるとしている。私(外間)もまったく同感であり・・・」

偉大な先人のご見解ではあるが、私は「意味のない後付語」という究極の(?)結論に至る前に私なりにモダエテみようと思う。「あまみ」と「しねり」が同義である、とか、何らかの対語であるのではないか、という視点である。いずれも着想段階であり、説得力のあるものとは言えないが:

1.一つには伊波普猷が「ニライ・カナイという言葉を、オボツ・カグラ、アマミヤ・シネリヤと対比することによって、文化の重層関係を知る手がかりが出来る」としていることにヒントを得て、かなり短絡的だが「ニライ・カナイ」と「アマミ*、シネリ*」に深層での同義を仮定してみる。

外間守善は、「ニライ」の原義を「根・処・辺り」と解し、「根国のほかに、根の島、根立て杜、根高杜、荒の根、島の根、国の根、島中ね、風の根、肝の根、想ぜ根等々、「根」にかかわりをもつ語が多く見られるし、それらはすべて「〜の基」「〜の中心」という意味で使われている。」と書いている。

もう少し具体的には「(1)祖神のまします聖域・・・(2)死者の魂の行く所。底の国(3)地上に豊穣、幸福、平安をもたらすセヂ(霊力)の源泉地・・・(4)海の彼方の楽土。常世の国。・・・」のことである、としている。

ここでアイヌ語の sinrit という語を検討してみる。(参考根の国) この語も「根」と「祖先」を意味しており、実際 sinrit oriwak mosir (先祖が暮らしている国土)という成句もある。

つまり、アマミ*とシネリ*は同義であり、アマミ*がある言語体系に於ける「根国」の概念を表示し、シネリ*が別の言語体系(後にアイヌ語になった言語)での「根国」を意味する語なのではないだろうか、という視点である。

2.もう一つの観点:稲の種類にアマンというのがある。([稲作](MSエンカルタ))インドの稲の種類を言うもののようだが、これが何語であり、どれほど昔から使われていた語で、何語にまで借用されているのか、などなど、全く未検討だが、稲を和語では「シネ」とも言うので「アマンとシネ*」という同語・対語の表現なのかもしれない。アイヌ語に amam (ヒエ、アワ、イナキビなどの穀物)という語もあり(萱野茂)検討してみる価値のあるものだと思う。

参考:イネの来た道


あまみんちゅ1
アマミの起源は海部???
しねりこ・考
根の国

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