シネリコ・考
アマミコ・シネリコのペア考察+試論
orig: 2008/10/03
rev : 2008/10/09

「アマミコ・シネリコ」(「アマミキヨ・シネリキヨ」などの変形がある)は琉球の開闢神で、しばしばこのようにペアで語られる。既にアマミコの諸語形、原義などについて考えてきたが、本稿では「シネリコ」から考を発して、ペアとしての語義を考える。

最初に「シネリコ」の変形語形を『沖縄古語辞典』から引き出しておく。
・しねみこ、しにみきょ
・しぬいちゅ、しぬいっつー
・しぬみく、しぬみちゅ、しねんちゅ
・しねんちゅ、しねんちょ
しのみきよう
・しねりこ、しねりきよ
・しねりやこ、しにうやきや
・しるみこ
ここで「アマミコ」「シネリコ」がどのように分析されるべきか、考えておく。これらが対照的、対象的に語られることから、まず、「アマミ・コ」、「シネリ・コ」と分解可能であろう。

「アマ・ミコ」(または、アマ・ミキヨ)と区切って「天・孫」の意味だとすることに伊波普猷は『古琉球』(P56)で反対している;即ち、「アマミキヨはアマミとキヨに区切るべき言葉であってアマとミキヨに切るべき言葉でないことは、シネリキヨという神の名を見ても明らかである」と。何故「明らか」なのか判らないが、「シネ・リキヨ(シネ・リコ)」と区切ると「リキヨ(リコ)」の解釈に困ることになるからであろうか。確かに「シネリキヨ」という例もあるが「シニミキョ、シノミキヨウ」という例もあるわけで、これならば「シネ・ミキョ」と区切ることに抵抗はない。


(1)「アマミ」「シネリ」が更に「アマ・ミ」「シネ・リ」と分析出来ると仮定して、「シネ」を「稲」と捉えてみる。開闢神話の主人公であるから「稲」が関わっている可能性は十分にあろう。和語に「イナリ、稲荷」がある。この「稲」を「シネ」としてみれば「シネリ」が得られる。即ち、「シネリ=稲荷」であろうか。

外間守善著『沖縄の言葉と歴史』中公文庫、P212-213にも「しねりきよ」の「しねり」を古代日本語「しね(稲)」と関連づけている記述がある。しかし、下述のような「あまみ」という語を言語的に「稲」に関連づける試みはないし、「しねり」と「稲荷」との関連も触れられていない。

「シネリ=稲荷」という解を吟味するにあたって「アマミ」が「シネリ=稲荷」のペアとして相応しい意味合いを持ちうるか、がポイントになる。今のところ「アマン」という種類の稲があること、アイヌ語で稲(他穀類)を amam という、あたりがトッカカリになっている。即ち、「アマミ」も「シネリ」も「稲(穀類)」のこと、となるか、との見通しである。

「あまみきよ」が五穀を伝えた、という伝承もあるので、「あまみ」が「稲」の意味を持つことは可能性が高いだろう。


(2)次いで「シネリ」が本土側の古代史に接点をもっていそうなことの指摘をする。特に変形語形の「しのみ」からたどれることである。即ち、出雲系譜の「八島士奴美神」の「士奴美」(しぬみ、しのみ)が対応しているやに見えることである。なお、この神はスサノヲとクシナダ姫の間の子神である。

この場合に「アマミ」:「シネリ」の対比はどのように説明出来るであろうか。まず「士奴美」(しのみ)を「シノ・ミ」と分析して「太陽・見る(〜目)」と考えてみる。これは、村山七郎が「しののめ」を太陽の目と解いたのに習っている。そうすれば「アマミ」も「天の目」で良さそうではないか。

参考:外間守善著『沖縄の言葉と歴史』(中公文庫、p210〜):
「その『てたこ』『せのみ』はともに日神を意味する語であるから、セノミがシノミに通ずる蓋然性が考えられる。はたしてセノミは昔を意味するムカシと対語であると同時に、祖先神とかかわりのある遠い昔を意味する語の意にとも通じていることが・・うかがうことができるのである。・・・つまり日神の意に使われているセノミはシノミの異表記として考えることができるわけである。」

参考:「アマミの語源は海部(アマベ)」を否定的に論じたときに「め」と「み」が混用されることに疑問を呈した。にもかかわらず「シノ・ミ」の「ミ」を「目」につなげるのは矛盾にならないのか。

「アマベ→アマミ?」の検討の際使った図に甲乙を追記して下に示す。これで明確になるように「部(ベ甲)」または「メ(甲)」から「ミ(甲)」への遷移を疑問視しているのである。

べ(甲)━疑問━び(甲)━可能━み(甲)
┃↓
┗━━━━可能━め(甲)━疑問━み(甲)

「シノ・ミ」の「ミ(甲)」を「見(ミ甲)る」から「目(メ乙)」へ展望しているのは、「メ(乙)」と「ミ(甲)」の関係であり、「アマミ・海部」論の疑問視とは矛盾はしていない。更に、『時代別国語大辞典上代編』の次の記事に依拠している。

め(乙)目 (1)目。(2)顔・姿。(3)逢うこと、見ること・・・考:(1)は見る器官。(2)は見る対象。(3)は見ることを名詞化していったもの。動詞見ると同根と思われる。

(3)もう一つの可能性:上で考えた「稲荷」であるが、これの始まりは秦氏にある、というのが通説だ。大和岩雄著『秦氏の研究』(p307〜)には「鍛冶屋の姥と稲荷信仰」という節がある。下記引用しておく。
「秦氏は金属工人とかかわりが深いから、秦氏が祀る稲荷の神を金属工人たちが信仰するのは当然である。」 「狐にも鍛冶屋にかかわる伝承がある(柳田国男「おとら狐の話」)。おとら狐は左の眼が悪く目脂を出しており、左の足が跛であったというが、柳田は、このおとら狐から、一眼一足の山の神や、天目一箇神や、伊勢の多度神社の「一目連といふ荒神」を連想している。」

「稲」と「天目一箇神」との関係を示唆する話は播磨国風土記(託加郡 荒田 条)に次のように出ている。
荒田となづける所以は、ここに居ます神、名は道主日女命、父なくして、み兒を生みましき。盟酒を醸まむとして、田七町を作るに、七日七夜の間に、稲、成熟おへき。乃ち、酒を醸みて、諸神を集え、その子をして酒を捧げて奉らせた。ここに、その子、天目一命に向いて奉った。乃ち、その父を知りき。後にその田、荒れき。故、荒田村となづく。
見るように「稲 成り終えた」(稲荷の語源にもなっているモチーフ)と「天目一命」が語られている。

ここの「天目一箇神」から「あまま、あまめ」更には「あまみ」を抽出出来るであろうか。即ち、「アマミ・シネリ」は共に秦氏起源になる「天目・稲荷」即ち「金属・稲」というペアに還元出来ようか。 伊波普猷著『あまみや考』(「をなり神の島」巻2収録p216)に:「神代にアマミキヨが大和(あまみや)からこの島に渡来した時、鍛冶屋をつれてきたという伝承」がある。「この島」とは沖縄島のことで、国頭村の神唄にそのようにある。ここに「大和(あまみや)」と書いてあるがよく判らない。その神唄では「昔世のあまんと(国初の神「あまみきよ」)が大和から仕立てたる大鍛冶、大和世に仕立てたる大はぶこ(羽鞴)・・・」とあり、大和=あまみや ではないはず。


(1)は「アマミ」も「シネリ」も双方が「稲」に関わることとして、アマミ・シネリの名称は最大稲作到来の時代まで遡りうる。
(2)いずれも「太陽」に関わることとして神話性があろう。
(3)は秦氏を起源とすると、やや時代が下る感がある。秦氏以前から列島にあった俗であったか、というところには疑問が残ろう。

[2008/10/09追記]:法政大学の間宮厚司教授の論考「ミルヤ、アマミヤ、オボツの語源」(2005/03/01)を見つけた。そこで「あまみや」を「天・御・屋」とし、従って「あまみこ」を「天・御・子」とし、「しねりやこ」を「太陽・入る・屋(の)・子」と解いて居られるのを見つけた。些か議論もあるが、「天」と「陽」という対であることを論じて居られるのは心強い。http://hdl.handle.net/10114/1408
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