「ワチ」との関係は 弥馬獲支考・1 |
orig: 2003/03/14
rev2: 2003/03/17
rev3: 2003/05/17
rev4: 2005/11/02 追記
『初期天皇后妃の謎』で「和知都美」の周辺探索で「ワチ」について述べた。(P157のコラムなど) 一方、『魏志東夷伝』倭人条で、邪馬壹国の官に 伊支馬 弥馬升 弥馬獲支 奴佳幀が記載されている。 「弥馬獲支」は「ミマワキ」と読むのが一般的に受容されているといえよう。 ここの「獲支」(ワキ)が「ワチ」と関係ないであろうか、ということを考えている。
「キ」と「チ」は直観的にも近い音だが、「支」の中国での発音は 更に、現代日本語の「キ」が現代琉球方言の一部では「チ」に対応している、ということも補強材料となるかもしれない。
前後になるが、「獲」の中国音は
服部四郎が指摘しているように、 すなわち、原琉球語(私はこれこそ弥生語と言って好いと思う)の KHACHI あたりにワチとカキ(垣)が遡るのかも知れない、という興味がある。「出雲八重垣」の「垣」も「ワチ」と同義ではないか。
さて、そうすると、「弥馬獲支」の前半「弥馬」は何であろうか。
(1) 『初期天皇后妃の謎』p106の図表も参照して、 (2)一方、「・馬」という語がもう一つある、すなわち、「伊支馬」(イキマ/イチマ)だ。これと「弥馬」(ミマ)を対比して考えてみると、前者が「1馬」で後者が「3馬」ではないのか。前者が「壱岐島」とすれば後者は「三島」となろう。こう解く時には「馬」は島の意味であろうか、と考えることになる。*へ続く 【自己批判】いや? それはまずいか。「1」は「ヒト」であって、「イチ」は漢語ではないか。それはそうだが、しかし、「伊伎島・・亦名、天比登都柱」とあって「イキ(イチ?)」と「ヒトツ」が、連携しているかにも見えている。漢語に基づく「イチ」が既に和語の「ヒトツ」と関連づけ得たのだろうか。 (3)スサノヲと天照大神のウケヒで生まれた宗像三女神を祀っているのが「水沼君」だという。「水沼」を「ミヌマ」と読むとき、これは「ミの馬」と解析できそうだ。(2)を援用すれば「三のシマ」とも解することができそうだ。 (4)恐らくかなり衝撃的な解は、ミマがミナに通じると考えた場合だ。同書p70に掲げた八島士奴美の異名の表にあるように、「・・三名狭漏彦・・・」という語群がある。この部分の読みは「ミナ・サル彦」でよかろう。「ミマ、ミナ」が「三名」に対応する。「ワチ」(p157参照)は茅の類であり、アイヌ語 sar(サル) は葦原などを意味する。つまり、ワチは sar と同義・類義で「狭漏」に対応する。 参考:八島士奴美神:素戔嗚尊(スサノヲ)と櫛名田比賣(クシナダ)の間の子:日本書紀第1の一書には「清湯山主三名狭漏彦八嶋篠」「清繋名坂軽彦八嶋手命」「清湯山主三名狭漏彦八嶋野」として伝わる。 つまり「弥馬獲支」と「三名狭漏」が対応しそうだ!(同義でありそうだ。)
*上述の「マ」は「シマ(島)」のことであろうか、をもう少し展開してみる。 すなわち、邪馬台国は、ヤシマ台国か、また、ヤシマデ国か、ということになる。 ヤシマデだと、八島士奴美の異名の一つに「・・・八嶋手命」があるのが、注目度急浮上してくる。この名前が「ウマシマデ」と不即不離に脳裏に浮遊してくるのはここでも同様だ(参考P71)。 「ウマシマデ」は、実例は無いと思うが「馬島手」と書かれうる名前だろう。 「マ」は「澗:湾または海岸の船着き場(広辞苑)」があるが、時代別国語大辞典上代編には、「マ」は「間、あいだ」の意味では出ているが、港湾の意味では掲出されていない。(アイヌ語にもmaを「澗」と訳しているが、どちらかからどちらかへの借用ではないか、と勝手に思っている) 「マ」が「島」の意味だろう、というに関しては下記の論説がある。 [2005/11/02追記]:谷川健一著『日本の地名』P198~に八重山出身の宮良当壮と金関丈夫の「ハテルマ」に関する論争がまとめられている。そこで宮良は「マは加計呂麻、慶良間、多良間、池間などの島名で見るようにシマ(島)の頭略である。」としている。 すなわち、私説の当否は、宮良説の当否に依存していそうである。(宮良説には金関氏の反論があるが、私には甲乙付けがたい。)他に、鳩間、来間、などあり。 弥馬升、という名前もリストされている。 升の音、上代thiəng、中古∫Iəngから(であろう)スサノヲに比定している説があったが説得力を感じなかった。 弥馬をヤシマと読む(理解する)ならば、「八嶋士奴美」の別名に「・・八嶋篠」があり「升」を「篠」に対応させることが出来そうだ。(「シェン」と「シノ」) その上で、「八嶋士奴美」がスサノヲとクシナダ姫の間の子であることを考えて、弥馬升がスサノヲ(と関連する)か、と考えるのならば検討に値しないだろうか。 【自己批判】「弥」を「イヤ」「ヤ」と読むのは訓読であり、魏志に書かれている「弥」を「ヤ」と読むのは不適当であろう。 しかし一方、日本語内部で3と8の対比が見られるのが興味深い。
|