肥前風土記 |
96/06頃、肥前風土記を読み直した時のメモです。 先ず、この風土記は「松浦郡」の処に五島列島の海女(海士)に就いて、「容貌、隼人に似て、常に騎射を好み、その言語は俗人に異なれり。」(p401-402:頁は岩波の日本古典文学大系によります。以下同じ)が有名ですが、今回の読み直しで、一番最後の「高来郡」の「土歯池」の条に興味を引かれました。(p410) 「土歯の池、俗に、岸を云って比遅波と為す・・・土人の辞によって、なづけて土歯池と云う」と云う一文があります。これも大きな言語資料の様に思えます。そこで、早速、アイヌ語辞書も取り出してきました。 なお、この地点は現在の「千千石」とされており、「土歯」(ひじは)が「千千石」(ちぢは、ちじわ)まで変化してきています。 前置きに、要注意事項と云うか、disclaimerを述べて置きますが、松浦郡での「俗人と異なる」で云われている「俗人」と、ここ「高来郡」で云われている「俗」の詳しい意味が不明で、従って上記二個所の「俗」の意味の異同も不明です。ですから、高来郡の「土人の辞」とは、和人の方言なのか、和語でない言語の事なのか、不確かです。 まぁ、いずれにせよ、上層部の人達にとっては異種の言語だった、と考えて良いでしょう。さて、アイヌ語で「岸」を引いてみると「川岸、川端」が petcha、参考までに「川口」が petchar とあります。 そこで、petcha と云う発音を和人が聞いた場合にどう聞こえるか、どう漢字に置き換えるであろうか、と考えてみます。結論から云うと、pe(或いはpi) tch ha 位に、聞き取ったと云うことがありそうに思えます。これを、「比遅波」と漢字に置き換えたのではないか、と考えました。 お気づきかと思いますが、pe を pi に変えてしまって居りますが、tch の音を「チ」と独立音節に捉える事で、第一音節も e から i に変わった可能性が高いと云えると思います。厳密な考証にする為には、本来 ペチ、ベチ、などと読むところを、ピチ、ビチと読む例を探さなければならないのですが、ここではサボらせて貰います。 大国主の息子である「鳥鳴海神」のお嫁さんの名前が「日名照額田毘道男伊許知迩神」と古事記に伝えられています。(参照:出雲の神様の表2。)この毘道が、河川を意味しているとビチもペチも河川の意味だ、と言えるのですが、まだ、根拠が見つかりません。ここにも「日名照」という表記で「夷鳥」に近そうな名前がありますが、後述の「海部直鳥」も「ひたとり」と読むのかも知れず、ポピュラーな名前なのか、同一部族を示唆するのか、、、はたまた同一人か??? 或いは pis=浜、ですので、この方から攻めてみる手もあるのかも知れません。しかしながら今の処「遅」(チ)の音が記録されるには、上のアプローチの方が良さそうに思えます。 そんな事に気が付いたので、もう一度、固有名詞を中心に、この風土記を読み直してみよう、と思った次第です。
(1)基肄郡(p381〜): 1.1『霧』の話 霧が山を覆っていたので「霧の国」と名付けた。後の人が訛って「基肄」となった、と云う何時もの典型的地名説話です。しかし、どうも「霧」と云うのはイザナギ・イザナミが国生みを終わって(書紀第6の一書)「余の生んだ国は朝霧だけみえて、かおりに満ちているなぁ」とか、須佐之男命と天照大神のウケヒの段では「その吹き棄てる息吹の狭霧」だとか、大山祇の子供に「天之狭霧神」(古事記「神々の生成」の段)など、「霧」に拘ってもいるんですねぇ。どういう事なんでしょうか。 アイヌは天空を6の階層からなっていると考え、最上界の創造主の住む天、次が「狭霧」の住む天、次いで星の住む天、などとしているそうです。(田中勝彦著著「幻の日本原住民史」徳間書店 p191) セキレイの交尾を見てイザナギ・イザナミは国生みを始められたと云う話もアイヌにあるそうで(同上書 p183)借用関係なのか、類縁関係なのか不思議に思えます。 なお、「アイヌの世界観」(山田孝子著、講談社)でも、天の構成が述べられていて、一つの記録では、
姫社の郷(ヒメゴソ)(肥前風土記 p383): 旺文社スーパーマップル九州道路地図によると、鳥栖市姫方に「姫古督神社」、その東3km程の福岡県小郡市大崎に「媛社神社」があり、恐らく前者が「珂是古」が「幡」を飛ばせはじめたところ、後者が、幡の行き着いた処なのでしょう。但し「姫古督」という用字は他に見えない。「姫社」または「姫古曽」と書くのが良さそうだ。神奈備さんの御指摘で調べてみました。御指摘多謝。 頭注にも書いてあるように、尾張風土記逸文の「アマノ・ミカツ・ヒメ」の話とか、播磨風土記の「葦原志許乎と天日槍」の話が思い出されます。 かてて加えて、天日矛の奥さんが畿内のヒメゴソ神社に祭られていること、その女性の名前「下照姫」が、「ミカツヒメ」の旦那である「アヂスキタカヒコ」の妹の名前と同じである、など、複雑な相関関係がありそうで興味津々です。それに就いては天の羽羽矢の小論も御覧下さい。 更に、この肥前の話の土地の近くにも、播磨風土記の上述の話にも、「ヤブ」という地名があります。
地名がセットで似ているのには、鳥栖市周辺と富田林市周辺があります。
「美具久留」の意味を、mike kur 輝く・人、と仮定してみました。そうしたら、肥前風土記、長岡神社に関する記事(p383)に、景行天皇の鎧などが光輝いていたのを、現地の神が欲しがったので、与えた、とあります。その鎧は、鳥栖市田代町永吉の「永世神社」に納められたそうですが、それを与えた場所が、この「水影神社」に至近です。 そう言う訳で、上記もゴロアワセと笑い飛ばせそうにない、と思ってます。 珂是古の話に戻りますが、p385、彼は「臥機(くつびき)とタタリ」を夢に見たので、彼に祭りを命じた神様が女性である事が判った、とあります。岩波本の頭注では、クツビキは韓国風の一種の織機、タタリは四角形の枠の糸織り道具、だそうです。それで、連想するのは、ニニギの母親の名前の一説にある「丹寫(ウ冠を外す)(ニクツ)姫」の「クツ」です。「クツ」とは、これなのかなぁ、赤い織機、かぁ、とも想いを馳せています。 また神社の話に戻りますが、「水影神社」のすぐ西に「船底神社」があります。一方、「鳥栖」なんて面白い地名だな、とも思ってましたので、これもイロイロ考えて居りました。船は chip、底(床)は so。ところが、鳥は chir です。 chip も chirも開音節だけに慣れた和人の耳には、殆ど同じに聞こえるのではないでしょうか。閉音節語尾は正しく聞き取れない。それで、chip も chirも同じように聞き取った、とするとchip-so という当時の現地の地名(仮定)を、一方では完全に意訳して「船底」とし、他方では、chir-setと聞いて、前半を翻訳して「鳥」、後半は音訳し「ス」と捉えて「鳥栖」、なんて事があったのではないでしょうか。 そう思うと、「天鳥船」とか、よく「鳥」と「船」が同じ場面に出てくるのが判ったような気になります。但し、「鳥船」は、こんな聞き違いからではなくて、オリジナルなモチーフだと思われます。 古くは「鳥上山」と呼んだ山(出雲風土記)を、今「船通山」とするのも、アイヌ語なら「鳥」と「船」を意味する言葉の音が近いことが背景にあるのではないでしょうか。出雲地名・鳥上山 chir chip チルチプ(鳥船の意味になる)が「秩父」にもなりそう、など楽しい悩みが増えます。 (2)三根の郡(p387): 海部直鳥という人が、神埼郡の一部を貰って三根郡を独立したそうです。この海部「直鳥」の読みを岩波本では本文では「あたひ・とり」としているものの、頭注には、『或いは、「なほ・とり」か「ひた・とり」か』とあります。「ひた・とり」だと「海部直鳥」と「天夷鳥」(天の穂日の息子。参考:出雲の神様・表3)が大変近い読みになります。出雲との近さを感じさせる名前です。今も、城原川西岸に神埼郡千代田町直鳥があります。
神埼郡、船帆の郷(p389): 頭注では、城原川の流域で、三根(今の直鳥?)の南か、とされています。船帆をアイヌ語で言うと chip kaya になります。(カヤナルミを考えていたときにも kaya =帆 で地名探索をしています。)直鳥の北西3km程の「伊賀屋」(JR駅名、バス停名、郵便局名に残る)が気になりました。或いは、鳥栖市に「萱方町」もあり候補、かと思われます。 船の話題が出たところで、風土記を少し戻ってp385に曰理(ワタリ)の郷に、生葉山で船を作り、高羅山で梶をつくる、とあります。高羅山は久留米市の高良山に比定されてますが、生葉山を「筑後国生葉郡の山か」と頭注にあります。 生硬ですが、神埼郡神埼町の「的」(いくは)の「仁比山神社」は候補にならないのだろうか、と思います。何故なら ni は「木」、 hi は 「こと、もの、とき、ところ」を意味する形式名詞です(千歳方言辞典)ので、文法的に少し疑問もありますが「木(を採る)ところ」みたいな意味に取れそうです。 出雲の嶋根郡に「布奈保神社」というのがあり、船帆、の意味か、とメモしております。参考:出雲神社リストの#105にあります。 おまけ: 逢鹿(あふか)の駅(p399): 「遇鹿」とも書いた肥前の地名ですが、出雲の「秋鹿郡(あいか<あひか?)」、常陸の「行方郡相鹿(あふか)里」「久慈郡、助川・・昔、遇鹿」など同じ様な地名があります。倭姫命世紀にも「相鹿瀬」という地名があり、今の三重県多気郡多気町にあります。アイヌ語でも apka は「雄鹿」の意味で、まぁ、なんと云う事はないのですが、話題にまで。 お付き合い有難うございました。m(_ _)m |