出雲系図と欠史8代

ORIG: 96/02/20
REV1: 97/07/16 rewrite & format
REV2: 97/07/30 垂仁天皇謚号訂正 etc
REV3: 98/03/06 日原神社追記
REV4: 00/04/12 補追
rev4: 00/10/22 乎而>番


「古事記の出雲系図」では、 などを指摘しました。

本稿では、第15代の「遠津山岬多良斯神」に入っている「タラシ」を出発点として、いわゆる欠史8代時代との、つながりを調べてみます。 関連テーブルを再掲します。

0.素戔嗚尊=櫛名田比賣←手名椎/足名椎←大山津見
1.八島士奴美神=木花知流比賣←大山津見
2.布波能母遅久奴須奴神=日河比賣←淤迦美神
3.深淵之水夜禮花神=天之都度閇知泥神←?
4.淤美豆神=布帝耳神←布怒豆怒神
5.天之冬衣神=刺国若比賣←刺国大神
6.大国主神(大穴神)耳神←八島牟遅能神
7.鳴海神=日名額田毘道男伊許知迩神 
8.国忍富神=葦那陀迦神(亦名、八河江比賣) 
9.多気佐波夜遅奴美神=前玉比賣←天之主神
10.主日子神=比那良志毘賣←オカミの神
11.多比理岐志麻流美=活玉前玉比賣←比比羅木之其花麻豆美
12.美呂浪神=青沼馬沼比賣←敷山主神
13.富鳥鳴海神=若盡女神 
14.天日腹大科度美神遠津待根神←天狭霧神←大山津見神
15.遠津山岬多良斯神

  1. まず、15代に「多良斯」とあるのは「タラシ」と読みますが、これが「タラシ」名の初出です(古事記の頁としては)。

  2. 一方、天皇のサイドで「タラシ」が初出するのは、第6代の「倭日子國押人」、と兄の「天押日子」においてです。 彼らは第5代孝昭天皇と「余曾多本ヒメ」の間に生まれます。「余曾多本ヒメ」は「奥津余曾」と兄妹(姉弟?)関係にあります。また、紀では「ヨソタラシ媛」とあり、「タラシ」を母方から継承していることが窺え、出雲系図の特徴と共通しています。

    初期の天皇名をリストしておきます。
    漢風謚号和風謚号
    1神武かむやまといはれひこ
    2綏靖かむぬなかはみみ
    3安寧しきつひこたまてみ
    4懿徳おほやまとひこすきとも
    5孝昭みまつひこかゑしね
    6孝安やまとたらしひこくにおしひと
    7孝霊おほやまとねこひこふとに
    8孝元おほやまとねこひこくにくる
    9開化わかやまとねこひこおほひひ
    10崇神みまきいりびこいにゑ
    11垂仁いくめいりびこいさち
    12景行 おほたらしひこおしろわけ
    13成務わかたらしひこ
    14仲哀たらしなかつひこ
    ..神功おきながたらしひめのみこと

  3. さて、孝安天皇の母である「奥津余曾」の「奥津」は「オキツ」と読んでよいでしょう。一方、出雲の14代の配偶者と15代にある「遠津」は、古事記では万葉カナが振ってありませんが、現代では「トオツ」と読ませてます。これは、「オキツ」と読めないでしょうか。どうも、そう読む例が見つからならいので、困っているのですが、「奥、沖」 と「遠」が類似の概念を表徴するので、取りあえず、近似値であろうとして置きます。

    「遠」を「ヲチ」と言いますので、こちらの側からも攻めることが出来そうでもあります。

    それで、出雲15代「遠津山岬多良斯」は 第6代孝安天皇「倭帯日子國押人」に当たるのか、と踏んでみました。 (或いは、兄弟の「天押帯日子」)

  4. この「多良斯」を天皇名として初出の「帯」と対応させてみたのです。そうしてみると、15代の表記の「山岬」が「山押」の誤記だったらオモシロクなるのですが。つまり、「山」と「倭」、「(岬)→押」と「國押人」、のパラレルが抽出できます。(「山押」と書いた異本はないようですが)
    多良斯

  5. 15代の意味が「オキツ家系の、ヤマ(ト)、オシ、タラシ」だったのでは、 なかろうか、と。

    尚、この出雲系図には息子 and/or 婿さんの名前に嫁さん系の名前が入っているのが、6/6代、6/7代、9/10代、11/11代、12/13代、14/15代、と6例に亘って見られます。小生は、この現象を、仮に「母系名称相続」と称しております。

  6. 出雲第15代が第6代天皇だとすると、孝安天皇の母親は、「(奥津の)ヨソタホヒメ」で「(遠津)待根」と語呂が合わないのが残念です。しかし、「待根」を「マツネ」とも読むと、母親の名称が配偶者(第5代考照天皇)の「ミマツ・ヒコ・カヱシ」に反映されているようでもあります。そういう目で出雲14代を見てみると、「天日腹大科度美」、の「科、シナ」と「カヱシネ」の「シネ」が似ているようにも思えてきます。

    [98/03/06]:
    最近見つけたのですが、丹後にある「日原神社」の祭神が、上述に出てくる「天日腹大科度美神」と「倉稲魂」となっており(
    参考:出雲関連神社)「科」と「稲」を通じて見るのもあながちウソではなさそうです。

    [2000/04/12]:第6代天皇と出雲第15代が同一人物だと仮定するもう一つの理由は、それぞれ一代前が第5代「観松彦香殖稲天皇」と出雲第14代「天日腹大科度美神」が同名でありそうであることが挙げられます。即ち、
    天日 の二字を縦に空白少なく書くと一字に捉えられて「香」となる(或いは逆に、香、を天日の二字に誤ったのかもしれない)(addition:2000/10/22)二字を合体して一字にしている例は出雲風土記秋鹿郡多太郷に出てくる名前で「乎而」を「番」と書いた本がある、というのがある。
    腹 草書体では似た字形になる。ことに「歹」ガツヘンと「月」ニクヅキ、は全く同じに見える。(草書の字典:圓道祐之 編:講談社学術文庫421)[字形の参照][誤字の例]
    稲 しね科 しな

  7. 更に、出雲第13代に遡ってみますと、ここにも「オシ」の音があります。前述のように孝安天皇(第6代)とその兄弟の「押」と対比して見たいところです。

  8. 第6代考安の兄弟の名前に「天」の字がありますが、系図のこの辺では チョット特異に見えます。これは、「遠津待根」の親が「天狭霧」である事と 関連しているかにも見えます。

    [2000/04/12] 「天狭霧」とは先代旧事本紀(巻第一)の冒頭に「天祖天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊」というユニークな名前(記紀には無い)がある。この「狭霧」を「遠津待根」の直接の親とするには些か抵抗があるが遠祖、元祖、と考えると「遠津待根」は旧事本紀を主張する物部系の人ではなかっただろうか。つまり、ここで「遠津待根」と「ヨソタホひめ」とを同一視しようとしているが、少なくとも同系の傍証になりそうだ。

    ここまでの所をまとめておくと:
    第5代天皇「観松彦香殖稲出雲14代「天日腹度美」
    妃:オキツヨソの妹、ヨソタホ/ヨソタラシひめ妃:遠津待根←天狭霧神
    第6代天皇「倭帯日子國人」出雲15代「遠津山岬多良斯
    妃:姪忍鹿比売?

  9. その他詳細は略しますが、この辺りの天皇家には「シキ県主」からの嫁入りが見られます。その「シキ」らしきものが、出雲12代の嫁はんの親の「敷山主」に見られます。(参考:欠史8代

  10. また、出雲12代の嫁さんに「押」ヒメ、とあるのも、考安妃の名前が「忍鹿」(オシカ)(記)、「押」(オシ)(紀)、「長」(オサ)(紀、一云)、「五十坂」(イサカ)(紀、一云)等である、との伝承も、世代が逆転してますが、意味ありげに見えます。「オシ」の音は出雲8代「国忍富神」まで遡れます。

  11. そうやって見て行くと、第4代天皇(大倭ヒコ・スキトモ)とフトマワカ姫(古事記)のカップルを、出雲4代の「オミヅヌ神」が「童女の胸スキ取らして」國引きした「スキ」に共通点が見えそうだし、そうなると、その配偶者の「布帝耳」も「フト・耳」と読めそうになってきたり。。。

  12. 或いは孝元天皇、おほやまと・ねこ・ひこ・くにくる(国牽)、に国引きの主人公であるオミヅヌの神を見るのが良いのかも知れない。そうすると、オミヅヌ妃である「布帝耳」と第7代天皇、孝霊、の和風謚号の「フトニ」に対応しそうでもある。

上記の作業から、初期天皇名と出雲系図で関係が付きそうに思われる神名を併記したリストを掲げておきます。
漢風謚号和風謚号出雲系図
1神武かむやまといはれひこ(熊野大社のクシミケヌ:神武兄弟の三毛野命、参考)
2綏靖かむぬなかはみみ
3安寧しきつひこたまてみ
4懿徳おほやまとひこすきとも
妃:フトマワカヒメ(記)師木県主祖
4.淤美豆神? 鋤にちなみ
妃:布帝耳神
5孝昭みまつひこかゑしね
妃:世襲媛、奥津世曽の妹
14.天日腹大度美神
妃:遠津待根神
6孝安やまとたらしひこくにおしひと 15.遠津多良斯
7孝霊おほやまとねこひこふとに
母:

参考:出雲12代妃、青沼馬沼比賣←山主神
8孝元おほやまとねこひこくにくる(国牽4.淤美豆神(国引きした)
妃:布帝耳
9開化わかやまとねこひこおほひひ
10崇神みまきいりびこいにゑ
11垂仁いくめいりびこいさち
12景行 おほたらしひこおしろわけ
13成務わかたらしひこ
14仲哀たらしなかつひこ
..神功おきながたらしひめのみこと

まだまだ生硬なアイデアですが、事跡記録に欠ける欠史8代(神武後、祟神前)と出雲系図の関わり合いに興味を持っております。各位のご意見でも頂ければ幸いです。


あきんどさんの「吉備氏らの系譜から」には、孝安天皇が天日矛に相当する、という異説が紹介されている。リンク切れ
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