古事記に出てくる出雲の神様 |
・スサノヲから始まる出雲の神様の系図 |
・出雲の神様と出雲大社神官の系図を並べてみる |
・出雲の神様が祭られている出雲外の神社 |
・「神prefix」は別ファイルにしました。 |
・「大年神系統の系譜も揚げました。 |
orig:95/12/08 | rev1: 97/09/14 href's, fonts, format | rev2: 97/12/14 table, 鮮→蘇の訂正 | rev3: 98/08/02 frame employed |
rev4: 2000/11/10 国造伝略から追補 | rev5: 2004/06/09 オミヅノに追記 | rev6: 2005/09/20 深淵神社補追&千家氏 |
古事記に出てくる出雲の神様の名前を、系図にして眺めてみました。
スサノヲには多くの妃がありますが、その一部、スサノヲとクシナダ姫の
一系統だけを下記に抜き出します。 一番左がスサノヲとその子孫になります。「=」は婚姻関係を示します。 奥さん達の右にある、矢印「←」の意味は、「奥さん ←奥さんの親」、です。 左上のブロックから表1・スサノヲ系図を選んで参照しながらお読みになると便利です。
1.八島士奴美神: 「狭漏」に関して言えば、アイヌ語で sar は「葦原、湿地」を意味しますので、「葦原の中つ国」ともつながる、注目に値する単語です。 木花知流比賣、は「このはな散る姫」とでも読むのでしょうが、南九州でニニギの尊の奥さんになった「このはな咲くや姫」と似たネーミングです。こちらの方も、大山津見を自分の親、としてます。「散る姫」とは、変な名前です。参考までに、アイヌ語では、chir が「鳥」(語根・雅語)(参考:大年神は疱瘡神)、sak に「夏」の意味があることを挙げておきます。
2.布波能母遅久奴須奴神:
3.深淵之水夜禮花神 {追97/09/20:}序でに踏み込めば、「都度」は「トト」或いは「ツト」と読み得ますが、倭トトビモモソ姫で示した、「tuto」(二日→明日→飛鳥)につながる語素のようにもおもえます。「天の飛鳥川なる神」なんて試訳が出来ますがどんなもんでしょう。
4.淤美豆神 「耳」のつく名前をリストしてありますので、「垂耳」を、ご覧下さい。また、ニニギ考でも論じております。 そう見て行くと、この奥さんの親の名前「布怒豆怒」も「2.布波能母遅久奴須奴神」の中にある「久奴須奴」と語呂合わせ感が良さそうに思えてきます。。。
5.天之冬衣神: 同じ神名が「冬衣、ふゆきぬ」とか「葺根、ふきね」とも伝えられているので、漢字に惑わされぬように、訛りというか音の揺れには十分目を開いていないといけないことが教えられます。
6.大国主神: 奥サンの「鳥耳神」(ここにも「耳」があります)の親である「八島牟遅」と1.の「八島士奴美」の関係はどうなのでしょうか。「ムヂ」と「ジヌミ」、似ているようでいて、違うようでいて。(表1参照)また、上述のように「知流」の chir を「鳥」の意味に捉えると、ここにも接続しそうです。 左上のブロックから表2を選んで参照しながらお読み下さい。 6.大国主の異名に「大穴持」、「大穴牟遅」もあり、これは「オホナムチ」と読みますから、奥さんの親から「牟遅」を貰ったように見受けられます。 7.鳥鳴海、はどうも母方から名前を貰っている様に見える。ただ、日名照額田・・・は本当に女性か? 毘道男、と続いている。じゃ、鳥鳴海が女性か? 額田という姓は出雲と縁がある。
8.国忍富神:
9.速甕多気佐波夜遅奴美神:
10.甕主日子、 奥サンの名前「比那良志毘賣」は常陸風土記に新治国造として出てくる「比奈良珠命」とか、それと同一人物と見られる国造本紀に現れる阿波国造「比奈羅布命」と共通の音があり注目される。ただ、時代、世代としてはこの国造は穂日の9代孫となるのに対してこの姫様は穂日から4〜5代目位の人ではないかと思われる。もちろん、系図の混乱、ってこともかんがえねばならないが。。。参照:表3
11.多比理岐志麻流美神:
多比鹿神社[たひか]「多比理岐志麻流美神 合 鳥鳴海神、貴久比賣 ほか」
13.「布忍富」鳥鳴海神: 上記8.に「国忍富神」があるので、やはり「オシトミ」が良いか。 タケミナカタ・トミ、と言う名称との関連も気になる。それらは、さておき ヌノオシトミの「忍(オシ)」は、母親である、青沼馬沼押比賣、のオシと共通する。
14.天日腹大科度美神:
15.遠津山岬多良斯神: この神が第6代考安天皇(やまとたらしひこくにおしひと)であり得るであろうか、と検討した拙文もありますので、出雲と欠史8代もご覧ください。 大国主の9世の子孫中、5人に関して、母系の名称を相承しているように見受けられる。大国主自身もその異名、大穴牟遅、では同様である。参照:表2(大国主系図) 閑話その1: 出雲系譜の父系の祖は、スサノヲとか大国主なのだが、母系で考えると、大山祇神の後裔が、南九州(コノハナサクヤ姫)、出雲(クシナダ姫)、関東(サキタマ姫)に分布していた、と言う出雲族(?)の主張が窺えます。 大山祇神を祭っているのが瀬戸内海にある愛媛県の大三島の「大山祇神社」と言うのも、出雲と南九州の中間地点とも考えられ気になる所です。 閑話その2: ところで、「ツミ(津見、祇、積、罪)」「ツチ(槌、椎)」「ジヌミ(遅奴美、士奴美)」「ムチ(貴、牟遅)」「ヌシ(主)」「ミチ(道)」って語群が、なんか一つの同じ言葉ではないか、と想定してます。意味は、「神」とか「みこと」とか。 かなり音韻の違った言葉を一括りにしているように見えましょうが、例えば、同一地名を「イナサ」「イササ」「イタサ」と書いてあったり、同一神を「天之冬衣」「天之葺根」と記していること(これは、「フユキヌ」「フキネ」と読める)、大国主の別名に「大巳貴」「大穴持」があり「ナムチ」と「アナモチ」が通用している、などから、言葉、或いはその表記の混乱ないし未統一が観察されますので、我々も十分な想像力を駆使して、漢字表記を見る必要はあるだろう、と思ってます。 「道主貴」って表記が日本書紀にあって、宗像3女神のことです。朝鮮半島への「ROAD」のヌシ、と考えられているようですが、三語とも同義で、古代の語呂合わせだった、なんて事ないでしょうか。 上記の、「ツチ」=「ヌシ」の仮定を導入すると、なんと、「天之ミカ主」は「天のミカツチ」になりますね。。。出雲乗っ取りに来た神様は「タケミカツチ」ですが、同一神でしょうか。とすると、この神は出雲系の姻戚になっている。。。大国主系図、表2、参照 「甕」(ミカ)に関して、岩波日本古典文学大系の古事記のP106の頭注では「瓶(かめ)」に関係ある神名か、と言ってますが、一方、P63の頭注では「ミカ」は「イカ」と同じで「厳」、厳めしく迅速、の意味、と言ってます。不統一であると共に、漢字の意味に引っ張られているように見えます。 「ミカツチ」の先祖(父親との説もあり)である「カグツチ」も「迦具土神」などとの漢字表記があり、「土」の神、なんて解釈しちゃうと、間違いでしょう。「ツチ」は何か神性の込められた敬称のような語尾だと思います。(参考:「大山祇神」の「ツチ」考) 話が発散しますが、紀記によると「タケミカツチ」の系譜は、多少混乱・異説もありますが元祖が「稜威雄走神」、その子が「ミカ速日」、その子が「封(ヒ)の速日」、そしてその子が「タケミカツチ」となってます。そして、「封の速日」は出雲の大原郡斐伊郷に祭られています。参考出雲神社リスト#328 なお、「封の速日」の出自に就いてはスサノヲと天照大神のウケヒによって生まれた、との記述もあります。(参考速日考) ここら辺に、古代のグチャグチャを解きほぐすヒントが、多々ありそうに思えてなりません。。。 閑話その3:
閑話・おわり
左上のブロックから表3を選んで参照しながらお読みになると便利です。 0.天之穂日が大国主を祭ることになった、とは紀記に出ているところです。 1.武夷鳥(タケ・ヒナ・トリ)は祟神紀にも登場します。彼の名前には大國主の奥さんである鳥耳神、と「鳥」が共通している。(肥前風土記に「海部直鳥」と言う人の話がある。「アマのヒタトリ」とも読みうる。)また、出雲風土記の楯縫郡条には「天御鳥命」という名が見えていて、古事記の「建比良鳥」のことか、とか、古語拾遺の「彦狭知命」にあたるらしい、とされている。(岩波古典体系風土記頭注p167)そうだとすれば、chir=鳥、のつながりを面白く思う。 2.櫛瓊(クシ・ニ)と「日名照額田毘道男伊許知迩」(ヒナテル・ヌカタ・ビチオ・イコチニ)とを見比べて見ると、「日名照」が「櫛瓊」の親の「夷鳥」(ヒナトリ)に対応して居そうなのと、「瓊」を「迩」に対応させられそうな気がします。 一音節だけの対応は危険が大きいのですが、この場合はヒナテル/ヒナトリの関係がありそうなので、敢えて一音節の「ニ」に対応を見てみました。 3.津狭はちょっと対応(言いがかり、とも言う(^_^))が見つかりません、と以前に書いていたのですが、その後、見つけたことがあります。 即ち、国造本紀に(小生の整理番号では#31)出てくる无邪志国造「兄多毛比」の祖先として、「出雲臣祖二井之宇迦諸忍之神狭」という名前があります。(この人の10世の孫が、兄多毛比。)或は、「津狭」と「神狭」はどちらかが誤記しているのだろうか、と考えてみたくなります。詳細は「神狭」考、並びに、兄多毛比は「兄・タケヒ]かも御参照下さい。 [2000-11-10]出雲大社松山分祠のHPにある「出雲国造伝統略」には「津佐命(ツサノミコト)又二井之宇賀諸忍之神狭命(フヰノウカモロオシノカミサノミコト)ト称ス。」とあり、こういう考えも既にあるようだ。 4.櫛甕前はどうでしょう。「天之甕主」とその娘の「前玉」に用字が共通しています。ここらは、埼玉(サキタマ)前玉、の関係とか、「主」=「槌」として良ければ(意味合いとしては同じではなかろうか)、「天之甕主」とは「天之甕槌」の事、にもなって来る様な、大変興味のある系図です。 5.櫛月の「月」と「若盡女」の「盡」に「ツキ」と言う音で対応を見いだすのは、気が早すぎましょうが、 6.櫛甕鳥海と「鳥海神」に共通の用字があるとの、合わせ技で、(^_^;)、目を引きます。 [2000-11-10]しかし、「櫛月」に就いては「久志和都命(クシワツノミコト)」とある書もあるそうだ。(出雲大社松山分祠のHP・出雲国造伝統略) あちこちで、奥さんやその親の名前が左側(つまり、大國主の子孫)の名前に流れてきていて、母系家族の印象が強いのですが、その奥さん達が更に出雲大社神官の娘であった可能性まで窺えそうです。(例:鳥耳や日名照と鳥鳴海に神官「武夷鳥」。天之甕主の女婿やその子の「甕」の字に神官「櫛甕前」。「若盡女」と神官「櫛月」。) あと、上記リストには省略しましたが: 旧事本紀の国造本紀で、阿波國造として「天穂日命八世孫」の彌都侶岐(みつろぎ)命が挙げられています。熊野大社で買い求めた由緒記によると八世孫は、「知里」となっていて一致しません。辛うじて、みつろぎ、の「つろ」と「ちり」が類似音でしょうか。 なお、アイヌ語では、chir が「鳥」を表す語根であり、「知里」や「鳥鳴海」などとの関連に興味が持たれます。 大国主の6世孫に「美呂浪神」と云うのも、みつろぎ、と音が似ていると言えば言えそうです。その奥さん「青沼馬(沼)押比賣」が東京都調布市深大寺の青渭神社に祭られているのではないかと思われ、関東絡みに見受けられます。「渭」は「沼」の意味。 また、下の関連神社リストも参照下さい。 出雲神官の第20代に「意岐苫大臣」とあり、オキトマ・の・オホオミ、と読むのでしょう。これと、大国主系譜の14.の配偶者「遠津待根」、15.代にも出てくる「遠津」の読み、普通は「トホツ」と読むようですが、「オキツ」とは読めないでしょうか。そうすると、「オキ・ツ・マチ・ネ」「オキ・ツ山岬多良斯神」とに共通な要素が見られることになるのですが。 また、天の穂日の第13代は、「襲髄命」。これに、カネスネ、と振りがながあり、スサノヲの孫である「・・久奴須奴」、そして、埼玉の神社名である「金鑚」(かねさね>かなさな)との共通点も気になるところです。更に、魏志倭人伝に出てくる「華奴蘇奴国」も、同類の単語のように窺えます。 神官第10代は「阿多」とあり、「阿多の隼人」と言われる南九州の地名が想起されます。出雲にも「阿太加夜」という地名、それの付いた人名もあります。また「賊」の字を「アタ」と読ませる場合もあり、まだまだ研究したい語・音です。 話は変わりまして、ご存知の方も多いと思いますが、出雲大社の神官は、上記の天之穂日から数えて、現在は84代目の千家尊祐(せんげ・たかまさ)氏につながっています。
rev1: 98/03/06 日原神社追記
「神社名鑑」を借りてきたので通読したのですが、上記の中の余り著名ではない神様達が祭神となっている神社が見つかりましたので、リストしておきます。
これらの事から、何かが引っ張り出せるのだろうか:
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