「出雲欠史8代」にて「香」と「天日」が、また、「殖」と「腹」が誤写ではないか、と考えてみた。これを補強する為に色んな写本の間の違いに就いて先達の教えをみてみる。とりあえず岩波古典文学大系「古事記」の「出雲国風土記」の脚注にある校訂記事から、関連有りそうなものを拾ってみた。
関連ありそう、とは
- 誤って一字のものを二字に分割(或いはその逆)をしているもので、これは「香」と「天日」が起源は同じなのにどちらかが誤ったのではないか、という仮定を補強するものである。
- もう一つは「殖」と「腹」の混乱が偏や旁の誤写例で似たようなものを見て、証左立てる助けになりそうなものである。
表
Page-No. | 岩波本 | 校訂記事 | 備考 |
154-12 | 乎而 | 番 | 一字と二字の違い(上下をくっつけた、或いは離した) |
228-08 | 髪 | 仰支 | 一字と二字の違い(上下をくっつけた、或いは離した) |
228-18 | 記 | 託 | 旁の誤写。p232-03 & 232-16も同じ |
230-03 | 工 | 上 | 単純な字形での誤写 |
230-10 | 伊 | 位 | イとヰ、まさかdictationに依る聞き違いからの書き違い? 字形は誤りそうにない。 |
230-12 | 川 | 門 | 誤写 |
234-01 | 比 | 此 | 見間違い |
234-03 | 耳 | 多 | 字形が近い? |
234-05 | 阿 | 河 | 偏の間違いp236-15にも |
236-05 | 置 | 買 | 旁の間違い |
236-10 | 艫 | 契 | なんとなく似た別字 |
236-14 | 刺 | 判 | 字形の類似 |
238-02 | 佃 | 烟 | 偏も旁も違っている |
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岩波の出雲国風土記は約160頁、原文と読み下しが左右に配列されているので、原文が約80頁、それらにザット見るところ平均約10個所の用字の校訂がなされている。上記はそれらからのつまみ食いである。
我々は普段、校訂されて、奇麗な活字で印刷されたものしか見ていないのだが、筆写された各種原本(写)では斯様に多くの疑字があることは知っておくべきだろう。
だからといって「天日腹大科度美」が「香殖稲」である、との十分条件にはならないが、他の状況証拠と合わせて、それらしくないだろうか。
出雲欠史より該当部分の再掲
出雲第15代が第6代天皇だとすると、孝安天皇の母親は、「(奥津の)ヨソタホヒメ」で「(遠津)待根」と語呂が合わないのが残念です。しかし、「待根」を「マツネ」とも読むと、母親の名称が配偶者(第5代考照天皇)の「ミマツ・ヒコ・カヱシネ」に反映されているようでもあります。そういう目で出雲14代を見てみると、「天日腹大科度美」、の「科、シナ」と「カヱシネ」の「シネ」が似ているようにも思えてきます。
[98/03/06]:
最近見つけたのですが、丹後にある「日原神社」の祭神が、上述に出てくる「天日腹大科度美神」と「倉稲魂」となっており(参考:出雲関連神社)「科」と「稲」を通じて見るのもあながちウソではなさそうです。
[2000/04/12]:第6代天皇と出雲第15代が同一人物だと仮定するもう一つの理由は、それぞれ一代前が第5代「観松彦香殖稲天皇」と出雲第14代「天日腹大科度美神」が同名でありそうであることが挙げられます。即ち、
香 | 天日 の二字を縦に空白少なく書くと一字に捉えられて「香」となる(或いは逆に、香、を天日の二字に誤ったのかもしれない)(addition:2000/10/22)二字を合体して一字にしている例は出雲風土記秋鹿郡多太郷に出てくる名前で「乎而」を「番」と書いた本がある、というのがある。 |
殖 | 腹 草書体では似た字形になる。ことに「歹」ガツヘンと「月」ニクヅキ、は全く同じに見える。(草書の字典:圓道祐之 編:講談社学術文庫421)[字形の参照] |
稲 しね | 科 しな |