アイヌ文学の特徴
伊豆・杉鉾別命神社の由緒を読む
orig: 99/6/22
rev1: 2000/09/16 chirの周辺、小手直し
知里真志保は「アイヌ民譚集」(岩波文庫赤81-1)の注記(p236)で「同語を反復し、対語で畳み、時には頭韻を利かせて、流れるような行文の上に汲みとるばかりの音調美をただよわせていることがある。」 と書いています。これは同書のパナンペ説話に関する注記で、サンプルとして、同説話から次の個所を挙げています。

punkar kari peka pon-kusan pon chikappo蔓(つる)を伝って可愛らしい小鳥がp,k,p の反復
terke terke kaneあっちへ飛びこっちへ飛び同語の繰り返し

そして、「語る者にも聞く者にも非常にソノラスな印象をもたらすのである。この音調的な美しさはアイヌ文学の特徴の一つであって文字の無かったため主として聴覚に訴えられることも原因の一つであろうと思う。」としています。

私が、ヤマトタケルの「カガナベテ」説話に見た、このソノラスな印象も、日本語だけからは感じることが出来ないものです。

こういうアタマでおりますと、見るもの聞くものがしばしばアイヌ語で解読すると興味あることが判ることがあります。

ここに静岡県賀茂郡河津町田中にある「杉鉾別命神社」の由緒、があります。
出典は「神奈備HP」、こちら

由緒

御神体を浜の方に祀ると船が進まなくなるので、天城山の方角に祀ると言う。

往古、杉鉾別命が酒に酔っぱらって野原の枯れ草の中で眠ってしまった。その時野火が起こり、命はすっかり取り囲まれて絶対絶命の状態になった。 するとどこからともなく小鳥の大群がやってきて、濡れている羽から水滴をたらしていった。いくどもいくども繰り返された。さしもの野火も消え、命は危うく一命をとりとめることができた。 当社の氏子達は12月17日から24日までの一週間は酒を断ち、小鳥を捕らない事になっている。神社の掲示では鶏肉、卵も食さないとしているが、12月23日までとしている。

この由緒の中心部分の核となる語をアイヌ語で対比してみますと次のようになります。

杉鉾別命が酒に酔っぱらって野原の枯れ草の中で眠ってしまった。その時野火が起こり、命はすっかり取り囲まれて絶対絶命の状態になった。 するとどこからともなく小鳥の大群がやってきて、濡れている羽から水滴をたらしていった。いくどもいくども繰り返された。さしもの野火も消え、命は危うく一命をとりとめることができた。我・呑む=chi ku
枯れ草=chi kina
野火=sir uhuy
小鳥の大群=chirruy
小鳥の大群=chikap ruy
小鳥の大群=chikap rup
鳥=chir とも言う(雅語)
濡れている羽=chirir rap
水滴が落ちる=wakka chik

即ち、知里の書き方を真似れば、ch, k, r,の繰り返し、頻出がとても目立っています。もう少し特定的に言うと、

日本語で聞けば他愛ない伝説ですが、起源はアイヌ語(おっと、縄文語か?)で語られていた物語ではなかったでしょうか。ヤマトタケルの野火にあった話の原形か?

最近解析していた「因幡の素兎」「隠岐の三つ子島」「伊予の二名島」なども、日本語へ翻訳されたため失われてしまったこの種の「ソノラス」な或いは言葉の遊びが原語(?)ではハッキリと覗えるのが判る。


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