天一目神・資料
資料・2

orig: 2000/11/24


天目一箇神〜に命じて種々の刀斧鉄鐸を作らせた:先代旧事本紀・巻第二p52
天目一箇神天照大御神が天岩戸に隠れた際、刀、斧、鉄鐸を作らせた。古語拾遺。(鍛冶の神。金属・鉱業に携わる神は片眼とされる場合が多い。)
天一目命山代国造、山代直祖、神武期に任命、国造本紀
天一目命牛王神社祭神、滋賀県八日市市建部下野町454。主祭神:岩瀧踏たたら姫命:摂社 石上神社 布都魂大神:祭神はまた、天一目命や饒速日命降臨の供奉衆天津麻良ともされる。(以上カムナビHPより)
天目一箇命多度大社・天津彦根:別宮・一目連神社・天目一箇命
天一目命播磨風土記託賀郡P332:荒田・・道主日女命の子、不明の父に酒を捧げる。父は天一目命と判明。「道主ヒメ」系統不明とある(岩波頭注)も神代紀に宗像三神を「道主貴」というから、奥津姫と想定すればアヂスキタカヒコのことである可能性が出る。
天久斯麻比止都命これの後裔が菅田首:姓氏録山城国神別:p242
天麻比止都禰命これは天都比古禰の子。後裔山背忌寸:姓氏録山城国神別:p243
天麻比止津乃命これの後裔が葦田首:姓氏録未定雑姓大和国:p340
一眼国「宗谷の南から能取湖の辺までは(地名は)何もなく『是より奥 一眼国、相知れ不申候』となったいる。」と山田秀三の「アイヌ語地名の研究」3(p305)にある。これは「山城屋安右衛門と所持者の名が書かれた特大の北海道地図」とある。一眼とはどこまでも「山城」と結びついているようである。
片方の眼はごま粒の如く(小さく)片方の目は満月の如く(大きく)金田一京助全集11アイヌ文学Vアイヌ聖典p129ポロオイナ589行〜:長い名前は難しく短い名前は「モシレチクチク コタネチクチク モシロアシタ コタノアシタ」(意味不詳)という大悪神。巌の鎧、小山が手を生やし脚を生やし、櫂ほどの太刀を獣皮の縄で自身に縛り付け・・・という怪物。類話p340〜。悪神に囚われた日神を救出する話
目一鬼出雲風土記大原郡阿用郷:人を食う:p238

さて、子の父が不明であり、その子に「父と思う人に酒を捧げよ」と言われて持って行く、それで父が判明する、という上記播磨風土記の説話は山城風土記にもあり、玉依日女(賀茂建角身と伊可古夜日女の子)が生んだ可茂別雷に関して同様である。この場合、父親は火雷神と判明する。なお、母の兄は玉依日子

また、参考までに、常陸風土記那賀郡茨城里条にも、未婚の母が子を産む話しがある。ここでは子は蛇体である。父の居るところへ行けと言われる。(結果は昇天出来ずにある峯にとどまる)。母の名は努賀ビメ。母の兄は努賀ビコ。

の諸点から、播磨風土記が言う「天一目命と道主日女命」の子とはアヂスキタカヒコではないか、且つ、それは可茂別雷である、と推定する。

なお、「出雲問答」には『出雲大社小縁起に 「山城國加茂大明神者当社第一王子阿式大明神是也」とある・・』とあり、ここの「阿式」とは「アヂシキ」のことであろうから、「アヂシキと可茂別雷命は同一」という説はあるのである。


天一目命の就いてアイヌ語を援用すると、こんなことになる。(彼の)一つの眼球、とは、shine shik-num(i)。別項でシヌミ、チヌミ、ツヌミなどを考えていたわけだが、ここに shik-numi が符合していはしまいか。以前、ツヌミもシヌミも一緒と考えたが、tu-numi とすると「二(眼)玉」とも展開できはする。

二眼の賀茂建ツヌミの娘婿が一眼、というのも首肯したくならないだろうか。

疑問:アイヌでは一眼のキャラクターは日の神を幽閉する悪神。和人側での天一目神は岩戸に隠れた天照大神の救出隊の一員。


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