アヤシイ アイヌ語説
付・寺田寅彦随筆集より

orig: 2001/05/08
add1: 2002/01/11 四国地名
rev2: 2003/11/21


別に掲げた怪しいアイヌ語説の四万十川に関して原典がこれであろうか、と(^^ゞさんが見つけて下さった。図書館から借りてきて一読したので、紹介しておく。
寺田寅彦 全随筆集2(岩波)p560~567 「土佐の地名」より
土佐の地名

『・・・例えば土佐の地名を現在或いは過去の日本語で説明しようとするよりは、寧ろ此等の地名とアイヌ、朝鮮、支那、前印度、マレイ、ポリネシア等の現在語との関係を捜す方が有意義である。こういう研究は既にその方の専門家によて追究されて居る。自分は此方には全然門外漢であるが・・・専門家や又土佐の歴史に明るい先輩諸氏の示教を仰ぎたいと思う。』

『誤解をなくする為に断って置きたいと思うことは、左に地名と対応させた外国語はようするにこじつけであって、唯或る一つの可能性を示唆し、所謂作業仮説としての用をなすものに過ぎないということである。・・・』

これに続いて4ページ強に渡って40ほどの土佐地名にアイヌ語を当てている。その一つが

『四万十川 「シ」甚だ。「マムタ」美しき。』

である。そして、このリストが終わって最後の段落で『唯以上のようにこじつけ得られるという事自身には何等かの意義があるであろう。この事実がもし我郷土の研究者に何らかの暗示を与える端緒ともならば大幸である。』(昭和3年1月、土佐及土佐人)

すなわち、「マムト」ではないが「マムタ」説が見つかったという訳だ。但し、上にゴシックで強調しておいたように、寺田はこれを「こじつけ」と言っている。専門家や郷土の研究者がこれをヒントにチャント研究してほしい、と言っているのだ。鵜呑みにされたのでは、さぞ迷惑がっておられることだろう。

先にも書いたが「マムト」に「美しい」などと言う意味がない、というよりは「マムト」という語彙自体が辞書を見ても掲出されていない。当たった辞書は、田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」1996、「萱野茂のアイヌ語辞典」1996、中川裕「アイヌ語千歳方言辞典」1995、服部四郎「アイヌ語方言辞典」1964、知里真志保「アイヌ語地名小辞典」1956、知里真志保「分類アイヌ語辞典:人間編・動物編・植物編」、知里高央「アイヌ語絵入り辞典」、その他、山田秀三「北海道の地名」「東北アイヌ語地名の研究」「アイヌ語地名を歩く」、知里真志保著作集1、2、3、4、などである。

但し、「マムタ」という語があったので別記しておく。最新情報。2003/11/21

寺田の随筆が昭和3年(1928)に書かれているが、アイヌ出身の天才、知里真志保19歳の時である。まだまだ専門の言語学者以外にアイヌ語の知識が今よりも数段もなかった頃であろうか。上記の辞書類もなかった頃だ。寺田には同情するも、今日の人々が辞書も当たらずに無批判に寺田の「こじつけ」を流布するのが口惜しい。


2002/01/11 追記
上のように書いたが筆者は四国の地名に多くのアイヌ語的性格を見出しており研究中である。であるからこそ、なおのこと、いい加減なアイヌ語説の流布、そして、安易な全般的否定(または、全般的肯定)を心配している。

四国地名の一部のアイヌ語(或いは縄文語)的性格に就いては、既に伊予の二名島オホゲツヒメ、高知空港敷地内にあった「ワカサカ」地名で述べている。

これらの考察では、単に『「四万十」は「シ・マムタ」だ。』というような語呂合わせだけではなく、種々の周辺事情を考え合わせて説得性を上げようと努めている。

四万十川に関しても、その水源にある「稲葉洞」という名称に注目している。これは全国的な「稲葉」「因幡」「印旛」「稲尾」「稲生」「千葉」地名がアイヌ語のイナウ(日本にも行われている「削りかけ」)に関連していそうだからである。「稲葉」と書くものの「稲の葉」が地名に使われるほど重要とも思えないし、四万十川水源の山奥に稲作関連の地名があるのも解せない。この洞の入り口に祠があることも考え合わせてイナウに繋がっているものではないか、と考察を進めているところだ。


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