卑弥呼の読み
本当にヒミコと読むのか
・・補追1・・

補追2を付属させました。2000-03-01
たけさんの「ひみほ論」へのリンクです。なかなか力強い! 99/12/01

orig : 99/04/14
rev1: 99/06/04 k/kh/p系統図
rev2: 2000/03/01 補追2


下の論の参考として補追2にて、K音とH音の混乱の例を集めています。
先に、卑弥呼、は、ヒミホと読むのじゃなかろうか、と提起しておりました。これに関して読者の方から概略「漢字の発音に当てられているhは、より正確にはkhとすべきものである。日本語のハ行音はPから出たものである。従って、倭人のkh発音をp音と混同するのはおかしい」とのご指摘を頂きました。

確かに、琉球諸方言を参照して、ハ行音がP音から出ている、というのが通説のようです。しかしながら、注意しておきたいことは、時代・地域によって言語の変遷が一様では無かったでしょうから、どの時代のどの地域の言葉が記録されたのか、ということです。

具体的には奄美大島のある地方の方言では、東京語のkがhになっている、また、東京語のhがpで保存されている、そうです。正確には下記引用をご参照下さい。

服部四郎著「日本語の系統」p282:

東京・京都などの方言の「カ、ケ、コ」の子音に対して、/h/が現れる(と概略的に言える)のは、喜界島、大島の佐仁、沖永良部島の西原と手々知名、与論島の立長と茶花、沖縄の辺戸、稲嶺、汀間、「平」、「高」。 /k/が現れるのは・・・・

(地名は原文では略記されているのを小生が翻訳してあります。「平」(伊平屋島?)と「高」は不明。)

また、同書p314には

或はこのkとhとの区別が少なくとも原琉球方言(というものが仮にたてられるとすれば)において存した[k]と[x](ドイツ語のAch-Lautのごとき音)の区別をこれらの方言が保存せるものと考えなければならぬことになるかも知れないのである。
とあります。下記では[x]を[kh]で書きます。

さて、どういうことかと言いますと、3世紀の倭国の発音に/k/も/kh/もあって、卑弥呼の「呼」は/kh/を意図して記録されたものと考えると確かにその後の日本語の主流(?)ではこの/kh/は/k/に合流して、ヒミコ、と読まれたのかも知れない。

服部四郎の提起していることは表にしてみると:

原琉球方言
私の援用:魏志倭人伝の日本語
その後の音韻(一般)その後の音韻(一部方言)
k kk
khkh
p hp

ということがあったのであろうか、ということです。

これが意味する所は日本語のh音はP音に溯る、というのは部分的には正しいが、日本語のh音の中には「原琉球方言」ではkh音だったものも混在しているかもしれない、ということでしょう。そして同様に日本語のk音の祖はk音のものもあろうしkh音のものもあるかもしれない訳です。

これを適用すると himi-kho という名前が連綿と伝わってくれていたとしたら、奄美の一部などでは、ヒミホ、に近い発音をしているはずだった、ということになる。

もし、高皇産霊尊や、その娘の御穂津姫の言語が/kh/を/h/に変遷させていたとすると、その方言では卑弥呼がヒミホに近くなる、とは言えることになる。

こう考えてみると、主流日本語では/kh/が/k/に合流したとして、卑弥呼をヒミコと読んでも悪くはなさそうだ。しかし相変わらず、もし泄謨觚とか柄渠觚(シマコ・ヘココ)の最後の「コ」を「子」と理解し、且つ、卑弥呼(ヒミコ)の「コ」も日御子の「子」のように理解するには問題が残る。即ち、何故、違う音の字(片や「觚=ko」、片や「呼=ho=kho」)を宛てたのか、という問題が残る。服部四郎の推定が魏志倭人伝の解読にも有効というか魅力的です。

上記を補強する意味で、日本語で「ク」と「フ」が混乱している例を上げます。ヒミホ補論・2


対馬の高御魂神社[タカミタマ]にある伝承:
(高御魂神社[たかみむすび]「高皇産靈尊」)
神体がうつほ船に乗って漂着した霊石であるとの伝承がある。皇祖の高皇産霊神と同一神である。(長崎県下県郡厳原町豆酸字東神田 628)

卑弥呼はヒミホ?・本論
魏志倭人伝の漢字・用例
魏志倭人伝の漢字・彌馬獲支
泄謨觚と柄渠觚
ヤマトトトビモモソ姫
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