・・・頂いたメールから・・・その7

orig: 2000/09/30


ひきつづき多数のメールを頂いております。ありがとう御座います。 2000/04/01から2000/08/10頃までに頂いたメールから、幾つか抜き出してご紹介します。お名前は匿しました。
私のコメントは、頂いたメールへの御返事とは異なる場合があります。このページをまとめている今(2000/9/30)編集したり書いたりしているものがあります。
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カヤナルミ命に興味があります。最近見つけたのですが、京都府亀岡市本梅町に加舎という地名があります。これは「かや」と読むそうです。地図で見ると「加舎神社」があります。亀岡市には出雲という地名もあり、何となく気になります。加舎から北へ約六キロの園部町に八乙女という地名があります。以前何かの本の中に、丹後一ノ宮の籠神社に伝わる海部家系図の紹介で、彦火明の妻・天道日女の異名として高光日女、八乎止女とありましたが、この「八乎止女」は何と読むのでしょうか。アイヌ語で何か意味はありませんか
カヤナルミをご覧になってのメールだと思います。「八乎止女」は「ヤヲトメ」で「八乙女」のことで良いと思います。丹後風土記(逸文)の「奈具社」に出てくる「天女八人降り来て」に因んだものでしょう。

私が興味を持ったのは「彦火明の妻・天道日女の異名として高光日女、八乎止女」の部分で、最近やっと出典が判りました。「海部穀定著「原初の最高神と大和朝廷の元始」(桜楓社)の巻初に写真で出ている「海部直等氏之本記」にありました。「天の羽羽矢」で、妻の名前が共通するので、天稚彦、天日槍、更に饒速日が同一人物だったのではなかろうか、と述べました。饒速日と天火明は同一と考えられて来ていますが、その論拠が一つ増えたように思えます。

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『古事記、日本書紀、風土記、三国史記・三国遺事』等の文献の記述内容を、額面(文字面)通りに読んでいらっしゃいますか。私は、勝者の論理で書かれており、恣意的に何かを隠蔽乃至は敗者の素晴らしい事象、伝承を我が祖先の事として、盗用、改竄を疑う必要が在るかと、存知居ります。所謂、行間を読む、裏を読むと言う事ですか…。
記紀などを額面通りに読むか、ということに就いてですが、そうですねぇ、あんまり意識していないです。というよりは、私に取ってはこれらの書物は歴史書というよりは言語資料って感じになるんでしょうか。長脛彦がイイやつか悪いやつか、は書物を書いた勝者の論理で、悪いやつ、ということになっているのでしょうが、そりゃぁ、原住民サイドからみれば、神武なんてとんでもないやつ、になる。そういうあたりは(政治とか、かな)あんまり興味ないのです。長脛彦と呼ばれる(ようになった?)人が居たらしい、そういう人やその妹、妹婿、地名の伝承があった、そういう点は「額面通り」(かなぁ?)に読みます。もっとも、これはこれの間違いじゃないか、とは思うこともありますけど。

政治的(?)な意味を汲み取ろう、としての、行間、裏、読みに興味をお持ちの方も居られましょうが、それはそれで結構ですが、私はあんまり関心がない。どうしても主観中心になるのではないか、と危うさを感じています。

私が面白がってることを、他人様も記紀・風土記と辞書で検証しながら追試できるといいな、と思いながら書いています。でも、ある所までは行けるのですが、主観が完全に排除出来てないかもしれませんね。(ご指摘をお待ちしてます)

もし私のHPで指摘しているようなことの種類と数量が注目されて本格的な研究が始まって呉れれば良いと思っています。アイヌ語をやる人は日本の歴史をやらない、歴史家や国語学者はアイヌ語をやらない、これでは進まないな、と思ってます。レプチャ語やタミール語の前にじっくり検討すべき言語が膝元にあるのではないでしょうか、という気持ちです。

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近所を流れる「エベコロベツ川」意味を聞かれてこまっております。(豊富町)
山田秀三著「北海道の地名」(北海道新聞社)によると ipe-kor-pet つまり、食物・を持つ・川、としています。もっとも著者自身の体験として「土地のタクシー運転手も余り魚は居ませんがね」と言っていたそうな。魚が豊富、ということから、豊富という名前がでたそうです。
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保育社の「日本の古代遺跡」というシリーズの「39・高知」の口絵写真の「田村遺跡」の解説に、大略以下のような文章がありました。
「高知空港拡張工事に伴う調査で縄文時代の遺跡が発掘された。地名はワカサカ内、ほか2つである。」

国土地理院の2万5千分の1地形図を見たのですが、すでに滑走路の下に埋まってしまったのか、空港周辺でワカサカ内という地名を見ることはできませんでした。古い地形図を探せばまた違うのかもしれません。

この「内」が「ナイ」と読むのかはわかりませんでした。が、もし「ナイ」だとすれば、アイヌ語由来の可能性は高いのではないかと思います。

北海道にはあちこちに wakka sak nay があります。意味は、水・無い・川 です。日本語地名でも 水無川 なんてちょくちょくありますね。伏流水になっている川のことです。空港のあたりに伏流水になっている川の有無が大きなポイントになりそうですね。
田村遺跡の調査の際には赤外線写真により、旧の支流の探査を行っており、今でこそ見えませんが、田村遺跡の回りには地下水を保有した伏流水の存在を多く確認しています。そう言う意味ではワカサカ内の語源と一致するようです。いよいよ面白くなってきたと感じます。
四国にもアイヌ語で解ける地名が観察されますが、なによりも古事記にいう「四国は伊予の二名島」「阿波はオオゲツ姫」という、とあるのがアイヌ語で良く説明できるのが大きいです。
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1.歴史を考える時、何を一番重要視しますか? 考古学で何か出てきたものを一番参考にします? それとも文献記録を参考にします?

2.私としては文献はもちろん重要だとは思うのですが、邪馬台国時代は同時代の文献といったら中国の文献しかありません。ですから古事記日本書紀ですわ邪馬台国を語ろう!というのは無理があるかなと思っています。

1.どうでしょう、うんと根元にあるのは、先祖を崇敬することから、自分の御先祖さんを知りたい、ってことじゃぁないんでしょうかねぇ。勿論、数世代も溯ると既にそこは闇の中。しょうがないから(?)直系の先祖じゃないかもしれないけど、昔はどうなってたんだ???なんて発展する、のかな

私はもともとは(今もかな)歴史よりも日本語の成り立ちに興味がありました。(日本語の「起源」と言わない処に私の「苦労」が隠されてます。はははは。)ですから、どうしても文献!です。私は、ね。

2.邪馬台国、私、へそまがりなんで、あんまし追いかけてません。確かに記紀から邪馬台国を窺うのは至難のようです。でも、記紀にも2ー3世紀の記録(伝承)がありそうに思えるわけで(何も神武さんがBC660だ、とは思いませんが)どっかになにかウッスラチョッピリ顔を出してないか、とは思うんですね。

既に多くの方が論議しておられる神功皇后と卑弥呼、はお任せしておいて、私の「発見!!!」(???)は魏志倭人伝の「ミミ、ミミナリ」と景行天皇時代の「大耳、耳垂」「耳垂、鼻垂」、これらとの比較(参考:「耳垂」 ) とか「三保津ひめ」の「ミホ」に卑弥呼を垣間見る「卑弥呼はヒミホ?」なんかですね。

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引き続きメールをお待ちしてますね。(^_^)


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