本朝月令、四月中西賀茂祭事の条に、秦氏本系帳を引いて『初、秦氏女子、出葛野河、澣濯衣裳。 時有一矢、自上流下。女子取之還来、刺置於戸上・・・戸上矢者、松尾大明神 是也』 |
一方、能の世界では、賀茂神社縁起、続日本紀所引の山城国風土記、本朝月令所引の秦氏本系帳などを出典として「賀茂」というのがあり、その筋書きは、上記(岩波古事記)で省略された・・・の所に相当する話は「妊娠して男子を産んだ。この男子が別雷神となり母と共に賀茂三所の神として祭られているのだ」というのがある。( http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/4265/ka.html )
要するに「川を流れてきた矢に感じて別雷神を産んだ女性」は山城風土記では「賀茂建角身の娘」だが、秦氏本系帳では「秦氏の娘」ということを言っている。即ち「賀茂氏は秦氏」だ、というのであろうか。