巻頭言 [2001/05/12] |
『古代史料にみる縄文伝承』 目次はこちらから。 |
日本語の起源或いは成立の経緯に興味を持っています。 インド・ヨーロッパの諸言語が同族である、と理論的に立証されるにあたり使用された比較言語学の手法を、日本語とその周辺にも応用しようと種々試みがなされてきましたが、ぱっとした成果が上がっていないようです。 つまり、日本語のルーツは未だに不明、と云わざるを得ません。それだけに興味の溢れるテーマです。 先学の御尽力に関わらずルーツが判らない、ということは、日本語を単一な要素からなる言語と想定して、どこかの単一の言語にその起源を求めようとしてきた従来のアプローチを見直さねばならないことを意味していないでしょうか。
例えば、いち、にぃ、さん、よん、ごぉ、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう、
どうやら、日本語はいろんな言語の要素が交じり合って出来た言語なんじゃないか、と思うようになりました。その要素の一つに縄文時代の最後に使われていた言語(縄文語、と仮称します)もありそうです。その縄文語はアイヌ語に引き継がれているようです。このサイトでは、どうしてそう言えるのかを、色んな視点からの小論文にして、集積しています。 私は、日本書紀、古事記、風土記などに残されている主として人名、神名、地名、伝承に焦点をあて、且つ、「アイヌ語に日本列島の一番古い言語の痕跡が残っているのではなかろうか」との作業仮説を立てました。最近の分子人類学の知見でも、アイヌと縄文人のミトコンドリアDNAが一致する例もあり、両者の深い関係が明らかになってきました。 縄文伝承が和訳されて伝わったと思われるもののは、イザナギ・イザナミによる国生みのオノコロ島伝説から、島々の名前、そして因幡の白兎など多数が見つかりました。これらが縄文起源の伝承だと考えられる理由は、これらをアイヌ語で理解してみると、和文では見えていなかった原文の語調や言葉の洒落が生き生きと蘇ってくるからです。
さて、紀記と同じ頃作られた風土記では、わずかながら「隼人の言葉」が記録されています。(大隅国風土記)それらがアイヌ語にも共通する語彙であることを隼人に関する資料に提示してあります。 さて、古事記や日本書紀が語るところは、コノハナサクヤ姫やクシナダ姫が属していた大山祇一族が既に住んでいたところへ、ニニギ一族が降臨して来た、とあります。この二族が使用する言語がそれぞれ異なっていたと考えられますので、それならその二言語間ではどんな事象が起きたのでしょうか。
その、ニニギ勢力から逃れた部族は、自身の言語をある程度、保存して居ないでしょうか。そしてその古代言語の残照を、「アイヌ語」、に求められないでしょうか。これが本サイトの基本テーマ(の一つ)です。 もし、求められるとすると、地名とか(参照:アイヌ語地名の話)神名、古い言い伝えなどに残っている可能性が高いはずです。 そんな視点で、古事記、日本書紀、風土記、から始まって各地の地名、神社名、伝承などを調べてみたことを、ここに集積してみました。ごゆっくりご覧下さい。 |