欠史時代再構築の試み3
大物主の妃たち

orig: 2000/02/06
rev1: 20001/02/07 かつま追補

日本書紀によると大物主は大国主の幸魂奇魂として日本国の三諸山に住んだ。そしてこの神の子たちは甘茂(かも)君たち、大三輪君たち、また、姫蹈鞴五十鈴姫命とする。(異説もあるが省略する)

さて大物主の妃たちをリストしてみよう
出典妃名その他記事考察
神代紀美穂津姫高皇産霊尊の娘「美穂」という字と音から、美穂須須美命(出雲風土記)が想起される。
崇神7年8月紀活玉依媛陶津耳(別説:奇日方天日方武茅渟祇)の娘。大田田根子を産む媛の親の名の最後、二説とも「つみみ、ちぬつみ」。これは賀茂建角身の「つぬみ」とも近い。「たけ」も通じているのもある。
崇神10年9月紀の最後倭迹迹日百襲姫大物主は蛇だった
神武記勢夜陀多良比賣三島溝咋の娘。富登多多良伊須須岐比賣命(神武妃)を産む。書紀では神武妃は、事代主&玉櫛媛の娘、姫タタラ五十鈴媛。ここの「玉」も「櫛」も注目される。
崇神記活玉依毘賣陶津耳の娘。子は櫛御方命。その子は飯肩巣見命。その子は建甕槌命。その子が意富多多泥古。スヱは鬘の一種、それで葛城に繋がり賀茂に繋がるか、とも推考される。
神武妃の「富登多多良伊須須岐比賣命」は亦名として「比賣多多良伊須気余理比賣」がある。「富登」を「比賣」に置き換えたり、「須」が一つ足りなかったり、「余理」が追加されているのは別としても、前者の「岐」が後者で「気」となっていることは注目しておきたい。何故なら「岐」は甲類の「キ」であり、「気」は乙類の「キ」または乙類の「ケ」であるからである。

玉・瓊・勝:いいがかり
神武天皇が妃を娶る時、七人の乙女の中から伊須気余理比賣を選ぶに際して「かつがつも(まぁまぁ、とか、せめても)一番前にいる姉を枕む(抱こう)」という大意の歌謡がある。「かつがつも」に「玉・瓊」の意が隠されてないか?
「かつがつも」は、万葉集では652番に「玉主に玉は授けて かつがつも 枕と我は いざ2人寝む」と一例だけあるようだ。「かつがつも」と「玉」がつながりはしまいか、と考える最初のステップなのだ上記発想のキッカケ
「玉勝間」という詞がある。「かつま」とは「竹篭」であり、玉勝間は美しい竹篭の意味になる。篭には身と蓋があるから「あふ」とか「あへ」にかかる、とされる。「阿倍」に掛かるのは、大毘古命の子、建沼河別命が「阿部等の祖」だからなのではないだろうか。「玉」と「かつ」の近接に留意する。
新撰姓氏録(p160)には「竹田臣 阿倍朝臣同祖。大彦命男武渟川別命之後也」とあり、「竹」も絡んでくる。更に言えば新撰姓氏録の編纂に携わったメンバーに「阿倍朝臣 眞勝」という人が居る。「かつま」の逆の「まかつ」だが。。。武渟川別命の渟(ヌ)は瓊(玉)の意味になる。玉と竹から「たまかつま」と「阿倍」の関係がが連想可能。
神代記:天照大神とスサノヲのウケヒの段では、スサノヲが天照の付けている「八尺の勾瓊(まがたま)の五百津の美須麻流の珠を乞い度してヌナトモモユラニ天の眞名井に・・・(生まれた神は)正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」とその兄弟。玉・瓊・珠から「勝」字の名の子が誕生。
そして正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命の子が「天津彦彦火瓊瓊杵尊」だ。「勝」に「玉」を感じ取れば、その子が「瓊」という名を持つのもつながりがよい。
さらに忍穂耳の弟「天穂日命」の子が「櫛瓊」(奇し玉)だ。
つまり、神武が七乙女の中から伊須気余理比賣を「ま、しょうがないか」と選んだのではなく、「かつがつも」の頭句で「玉」に因んだ姫を選んだ、ということを意味しているのではなかろうか。「玉」は「瓊(に、ぬ)」であることを考えれば第2代天皇の名が「ヌナカハミミ」であることが解けてくる。

また、「たまかつま」は「島熊山」へかかる(三省堂古語辞典「たまかつま」の項)という。広辞苑は、これらの他に「しま」「し」にも掛かるとする。なぜ「玉勝間」が「島熊山」にも掛かるのかは未明だが、「ありかつましじ」という語句がある。万葉集に6例見られる。意味は「有り得まい」という。つまり、この語句に引かれて「かつま」が「し」に掛かるのかも知れない。

上の論理展開も未整理だが、第2代綏靖天皇の名が「ヌナカハミミ」とあることの背景を調べている現状報告である。


「かつま」追補
阿波国風土記(逸文)に「勝間井」の話が残っています。
「阿波国の風土記によると、勝間井という泉がある。勝間井と名づける理由はヤマトタケル天皇(!)が大きな櫛笥(くしげ:櫛をいれる箱)を此処に忘れていったのに因る。粟(阿波)の人は櫛笥のことを勝間というのでそういう名前になったのだ。」
美作国風土記(逸文)
ヤマトタケルのみことが『櫛』を池に落としたので、その池を、勝間田池という。玉かつま、とは『櫛』の古語なり」という話があり、かつま、は『櫛笥』のみならず『櫛』自体を表した場合・場所もあるようです。意味範囲の揺らぎ、と考えて良いようです。

即ち、出雲風土記の:越の国にいる「意支都久辰為(オキツクシヰ)命」とその子「俾都久辰為(ヘツクシヰ)命」は「・・・の クシヰ」と読み「奇し(櫛)井戸」あたりに意味を想定するのが良いかもしれない。更にその子の「奴奈宜波(ヌナカハ比賣命)」が所造天下大神(大国主)の妃の一人になる。そして、ヌナカハひめ、は「美穂須須美(ミホススミ)命」を産む。


欠史8代の后妃たち
欠史8代・再構築の試み・1
欠史8代・再構築の試み・2
欠史8代・再構築の試み・4
欠史8代・再構築の試み・5
欠史8代・再構築の試み・6
欠史8代・再構築の試み・7
綜合目次へ