欠史時代再構築の試み5
籠神社の古伝 ほか

orig: 20001/02/20
京都府宮津市にある「籠(この)神社」の古伝に曰く(海部穀定著「元初の最高神と大和朝廷の元始」(桜楓社)P17)「天香語山命」に関して:

亦名 手栗彦命 亦名 高志神彦火明彦命於天上生神也。母天道姫命。(中略)亦名 祖母命也)参照「高倉下」
とある。

越後の一宮、彌彦神社の祭神は「天香山命」であり、これを「高志神」と呼ぶのもむべなるかな、である。


日本海沿岸を富山県から新潟県に登って行くと、青海町、糸魚川市、能生町、名立町、となる。名立町にある江野神社の祭神は「素佐能男命、奇稻田姫命、大己貴命、事代主命、建御名方命、大山命、彦舅命、影姫命、武内宿禰、屋主忍男武雄心命」とある。太字にしたように「奇稻田姫命」が出てくるのが興味を引く。というのは、別に論じたように「立」と「槌、椎、土」は同語でありそうだからである。

つまり、「名立」は「名椎」と同語でありそうだ。そう、クシナダ姫の親である、手名椎・足名椎だ。また、こうして見てみるとクシナダ、の後半も「名立」に通じているようである。以前から気になっていた「名立」地名であったが、江野神社祭神を見て、心証を強くした。


越における出雲色、という側面が見えてくる、もう一つの事例は居多(けた)神社である。今は「こた」と読まれているようだが、「けた」で良いだろう。祭神は「大國主命、奴奈川姫命、建御名方命、事代主命」。神奈備HPによると「元々北1kmの身輪山に鎮座。新潟県上越市五智6丁目1-11」とあり、三輪山とも因縁をつけられているようだ。(但し「三」の「ミ」は甲類、「身」は乙類)

因幡の白兎伝説に出てくる「気多」地名を想起するが、この辺りに「兎」の痕跡は見当たらない。強いて上げれば海中にオキノシマに比定できようか、夫婦岩、というのが見つかっただけだ。また、因幡の気多で論じた「菱」との関係も、ここには観察出来ていない


こんなことから何をしようとしているのか。出雲と越の関係は深いものがあるが、双方に戦いがあって、どちらかがどちらかに敗れたのではないか。出雲風土記を見る限り大国主が越の八口を平らげて・・・などと言っているが、実は国譲りは越に対して為された、というようなことが出てこないか、というものである。つまり、タカミムスビの娘、ミホツ姫を押し付けられたことは実は越に負けたからではなかろうか、ということを追いかけてみているのである。
欠史8代の后妃たち
欠史8代・再構築の試み・1
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