神武妃の周辺 たたら・考 |
出典 | 父 | 母 | 妃本人 | 綏靖妃 |
古事記 | 大物主 | 勢夜陀多良比賣 | 富登多多良伊須須岐比賣命 亦名、比賣多多良伊須気余理比賣 | 師木縣主祖川俣毘賣 |
日本書紀(本文) | 大己貴神・幸魂奇魂 | - | 姫蹈鞴五十鈴姫(媛) | 五十鈴依媛 |
日本書紀(本文又曰) | 事代主神(八尋熊鰐) | 三嶋溝くひ姫 或云、玉櫛姫 | 姫蹈鞴五十鈴姫 | |
先代旧事本紀 | 都味歯八重事代主神(八尋熊鰐) | (三嶋溝杭の娘)活玉依姫 | 姫鞴五十鈴姫 兄:天日方奇日方命 | 五十鈴依姫 |
日本書紀の二つの一書(別伝)はここでは有用な情報がないので省く |
●神武妃の「富登多多良伊須須岐比賣命」には亦名として
「比賣多多良伊須気余理比賣」がある。
即ち、「富登」を「比賣」に置き換え、「須」が一つ足りず、「余理」が追加されている。(ここでは「命」字の有無は問わない。)
●前者の「岐」が後者で「気」となっていることは注目しておきたい。何故なら「岐」は甲類の「キ」であり、「気」は乙類の「キ」または乙類の「ケ」であるからである。「伊須須岐」と「伊須気」を同語と捉えようとすると、甲乙の違いが問題となる。あるいは、「いすすく」は四段活用するから「いすすき(甲)」は連用形、「いす(す)け(乙)」は已然形、と理解することも出来る。
●「いすすく」の義は時代別国語大辞典上代編(JK)によると「未詳。うろたえる・あわてる、の意か。ウスクとも(云う)」とある。
●「うすく」をJKで見ると「驚きあわてる。うろたえる。」とある。「いすく」「うすく」「いすすく」「うすすく」など同義の同語の揺れのようである。
●日本書紀と先代旧事本紀には、五十鈴依姫(綏靖妃)は綏靖天皇にとっては叔母である、とあり、先代旧事本紀では、姫蹈鞴五十鈴姫(神武妃)の妹である、とも明記されている。(『初期天皇后妃の謎』にて「より(依)」は長幼の「幼」を表し、対する「長」は「すせり」」とした拙論の根拠の一つである。)
●してみると、古事記が「富登多多良伊須須岐比賣命 亦名 伊須気余理比賣」とするのは(私から見れば)おかしい。「亦名」とされているが、前半が姉、後半が妹(「より」が入っている)なのであろう。古事記の伝える伝承には混乱があり、日本書紀と先代旧事本紀が記録している伝承の方が合理的に思える。
●「いすず」(いすす?)が源泉で「いすすき」が訛伝とか戯れか、あるいはその逆か?
●「いすす」が原点ではないか、と思ってみたときに関連づけたくなるのが、出雲国風土記にある「美保郷 ・・・天の下造らしし大神(≒大国主)が高志(越)の国に坐す神・・・ヌナカハ比賣命に娶いして(みあいして=結婚して)生まれた神が御穂須須美命」だ。御穂須須美命の性別・子孫に関しては情報がないが、名前の最後「美」を「み」と読んで「いざなみ」などの「み」が女性を示していよう(「き・ぎ」が男性)。そこで、御穂須須美「姫」が生んだ子を「ヌナカハミミ」(綏靖)と仮に措くと、ヌナカハ比賣〜ミホススミ〜ヌナカハミミ、という具合に「ヌナカハ」という名辞が隔世ながら継承されることになる。
●即ち「イスス」姫と「ミホススミ」姫が同体ではなかろうか、という次第だ。
●なお、上記出雲国風土記の伝承は、日本書紀(第二の一書)の「三穂津姫」に相当しているようにも伺える。即ち、出雲国譲りに際して、高皇産霊(勝ち組)が大物主(負け組)に対して「お前が国神を娶ると疑心が残る。我が娘「三穂津姫」を娶れ」ということになる。(今の視角からだと「勝ち組が負け組に女性を人質のように差し出す」のはおかしいかもしれない。昔は女系社会で、この場合は「勝ち組が負け組から男性(大物主)を婿に取った」という方向で理解するのがよいか。)ここの「三穂津姫」=「御穂須須美」ではないかな、という次第。
●こう考えてくると「いすすき」伝承が「いすす」からの派生であり、話に性的な尾ひれがついたものか、と思われてくる。