たたら・考 神武妃の周辺 |
神武天皇の妃名にある「多多良」「蹈鞴」について諸説を検討し私説も一石投じたい。
「多多良」「蹈鞴」いずれの表記でも「たたら」と読まれ、その意味は「蹈鞴」という表記に従って製鉄(或いは他の金属精錬)の際に火力を上げるための送風装置である、と理解されるのが普通であろう、と思われる。 しかし、どうも姫様の御名前にこのような武骨な(?)物体の名前があるのもおかしくないか、という直感にも共感するものがある。 「たたり」ではないか、という考えがある。糸を紡ぐ時の道具のことである。肥前国風土記では「絡 艫」と表記して「多多利」と振ってある。 これなら糸を紡ぐことが女性の仕事であったことに鑑み姫様の名前に合わないこともない。しかし、姫名ではあくまでも「たたら」であり「たたり」ではないことに憾みが残る。 台湾のヤミ語に tatala があり3人以下が乗る舟のことだ。これが神武天皇妃の名前の「たたら」ではないか、という説もある。この考えの一番の難点は「たたら」という音が日本の古語(上代語)で小舟を意味したということが例証できないことだ。例証出来ないから、そんなことはなかった、とは言えないが、あったとも言えない。 タタラを使う製鉄技術が「タタール」人から教えられて入ってきた、という説。これは日本語になった製鉄に関する語「たたら」の語源として検討されても良いかも知れないが、姫様の名前としてどうなんだ、という疑問を解くことにはならない。それとも、この姫様の出自がタタール人だ、とでも云うのだろうか。大体「タタール」という集団名が歴史上初見されるのは古事記編纂と同時期のようだ。神武妃の時代とは紀元前660年とは云わぬまでも西暦1世紀あたりではなかろうか。この妃の名に含まれる「たたら」がタタール人に因むものだ、という根拠は甚だ心もとない。 私説:今、私が考えているのは「たたら」とは「ささら」の古い語形(あるいは単に変形)ではなかっただろうか、ということだ。「た」と「さ」がしばしば交替することは「いたさ」「いささ」の例がある。(他の例)「ささら」は「細かく小さい意を示す」(時代別国語大辞典上代編)とある。「細い、小さい」という意味の文字は姫様の名前に使われている(孝霊天皇妃「細姫」。「細」は「くはし」とも読み、「くはし」ならば「微」とも「妙」とも書く。「遠津年魚眼眼微媛」、「倭迹速神浅茅原目妙姫」)。 念のため、神武天皇妃の母の名は「勢夜陀多良比賣」であり、ここの「陀多良」(だたら)が娘に継承されて「たたら」となっているものと考えられる。ここで、上代語では濁音で始まる言葉はなかったとされるから「だたら」という語はなかった筈だ。「だたら」と書かれてはいるが、これは「せや・たたら」と繋がった時に起こった連濁が表現されているのだ、と考えておく。しからば、なぜ「ひめ・たたら」の場合に連濁が起きないのか、、、自分には良く判らない。 持統天皇の幼名が「毘野讃良皇女」(うの(の)さらら(の)ひめみこ)とある。この名づけの理由は、乳母が「北河内を本拠とした渡来系馬飼集団の伴造、沙羅羅馬飼造あるいは菟野馬飼造の出身だった」から、という(日本古代史大辞典;天武紀12年10月に連となるとある。)。また、新撰姓氏録も河内国諸蕃に「佐良々連 出自百済国人久米都彦也」と記載する。即ち「さらら」で統一されている。(なお、「佐良々」は、三国史記(巻37)の地誌にある「P035 (新羅の)新良縣はもと百済の沙尸良縣」の出であろうか。) 「ささら」ではないから神武妃の名と共通要素があるとは言えないか、というとそうでもない。 即ち、「ささら」と「さらら」は、一方から他方への「音位転倒、metathesis」である、と考えて良いかも知れないのだ。音位転倒とは「あらたし(新しい)」が「あたらし」になるような現象のことである。 |