ミトコンドリアDNAの可能性と限界・4
何が判ったのか
orig: 2001/09/28
rev1: 2001/09/29 書き足し・修正

今まで見てきたMtDNAが教えてくれることとその限界をよく考えて、何が判ったのかを考えてみる。

一つのデータをみてみよう。すなわち、縄文人骨の浦和一号と現代マレーシア人インドネシア人それぞれ1人の190塩基配列が一致した、現代日本人サンプル62の中で一致したものはなかった。一つ違いが15人、二つ違いが8人、3〜8違いが39人であった。

このデータが教えてくれることは
「6000年前の浦和一号と現代マレーシア人1人、インドネシア人1人が母系の先祖を遡ってゆくと往古共通の母に到達する可能性が高い」ということだ。「可能性が高い」というのは16,500余のMtDNAのうちの僅か190個に関するデータであり、また、核内遺伝子に就いては全く考えていないからだ。しかし、それでも、核内遺伝子よりも最大50倍の速度で塩基置換する(注)D-ループの中の190個が同一だ、ということは、それより変化の遅い他の部分でも変化がない、と推定することは確率論的に可能であろう。

このデータが教えてくれないことは
しからば、この縄文人と上記の東南アジア人の共通の母は何世代前なのか、その母は何処に居たのか、、、、これは判らない。縄文人の出自が東南アジアだ、とはとても結論できない。2万年前にシベリアに居たのかも知れない。6100年前に華南に居たのかも知れない。7000年前に樺太に居たのかも知れない。その共通の母の娘の1人が日本に来て、1人が東南アジアに移住して子孫を作れば、こういう現象が起き得るからだ。

このデータが教えてくれることのもう一つは
現代日本人62人同士でも最大で8箇所が異なる少なくとも8種類の塩基配列が見られる、ということだ。アイヌと琉球人で一番近いサンプルでも一箇所違うとか、アンデスの現代人を含むサンプルとアイヌのサンプルが二箇所「しか」違わなかった、とか云うのも、それなりの意味を考察すべきだが、日本人内部でさえ、こんなに違う、ということも視野に入れておかねば徒な誤解を生むだけだろう。

つまり「日本人のルーツは?」と問うてみても個人、個人によって違うのである。考えてみれば当たり前、ではないか。

しかしながら、うまい言い方が工夫できていないようで、どうしても、日本人のDNAの種類、だとか、アイヌのDNAだとか、そういう表現、表記で記述がなされる。端的に云って尾本さんの本でいう「日本人116人」というのは静岡県三島市在住の人のことなのだ。そして、尾本さん自身がMtDNAの塩基配列には地域差が見られる、としているのだ。一々書くのは煩瑣だから、単に「日本人は・・・」という語句を見たときに、「日本人の一部は・・・」と頭の中で翻訳して読むべきだろう。

(注)「塩基置換の速度」と言われるが果たして塩基置換の速度自身が核DNAとMtDNA、またMtDNAのD-ループとで異なるのであろうか? すなわち、置換速度、すなわち、突然変異の起きる確率は同じなのではなかろうか。しかしながら、置換された結果が致命的なことになればその個体は生殖せずに死亡するとか、その子孫の生存確率が下がる、その結果、遺伝の代数を経るほど、致命性のない変異が保存、遺伝されて、より高い多様性が観察出来る、ということなのではないか。だから、致命性のないD-ループに個体差が顕著に表れる、ということではないか。

目次
ミトコンドリアDNAは何を教えてくれるか?
はじめにミトコンドリアとは?
D-ループ遺伝に関わらないMtDNAの一部
利点と弱点MtDNAによる系統研究の弱点
何が判ったのか落ち着いて考えよう
12,000年の意味あくまでも平均である
追補:アイヌと琉球人の遺伝的距離触れられない事実
再び、アイヌと琉球人の遺伝的距離12,000年以上離れているは虚
三種類の縄文人?何を意味するのか?
クラスター分類の読み方何を意味するのか?

たけ(tk)氏の「ミトコンドリアDNA研究」の紹介
ミトコンドリア関係リンク

日本語とアイヌ語;それらの縄文語、渡来語、弥生語との関連模式図
アイヌ語と縄文語の関係(人類学の知見)
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